意识流小说

Yìshíliú Xiǎoshuō
意识流小说
意識の流れ小説(いしきのながれ・しょうせつ)

 意識の流れ小説は現代哲学、特に現代心理学の基礎の上で形成されたものである。意識の流れと言う用語を最も早く提起したのはアメリカの心理学者ウィリアム・ジェイムスであった。彼は、人の意識活動とはそれぞれの部分がお互いに関係のないバラバラな方法で行うものではなく、一種の“流れ”であり、“思想の流れ”、“主観生活の流れ”、“意識の流れ”という形で行われると考えた。同時に彼はまた、人の意識の大部分は非理性的であり、非論理的であり、人の過去の意識というものは、浮かび上がり、現在の意識と一つに合わさることが可能であり、それによって主観的な感覚の中に、直接にリアルな時間感覚を形成すると考えた。フランスの哲学者ベルグソンはこのような時間感覚を強調し、発展させ、“心理的な時間”という概念を提起した。オーストリアの心理学者フロイトはジェイムスの非理性、無意識に関する観点及び彼が提起した一連の心理分析の理論を発展させ、意識の流れの方法の形成と発展を促した。
 
 意識の流れ小説は統一されたひとつの文学流派には属さず、また統一された定義もなく、このような手法の運用も作家によって違う。しかし総じて言えば、これらの作品の構成と伝統的な写実主義の作品の構成は異なっている。意識の流れ小説は、伝統的な小説が基本的にはプロットが発生した前後の順序によって、或いはプロット間のロジックの関係に基づいて形成された、単一的で、直線的に発展する構造を打破し、物語の叙述は、時間の進展によって順を追ってまっすぐ前進するのではなく、人の意識の活動に伴い、自由な連想から物語を組みたてている。意識の流れ小説の中で、物語の配置やプロットのつながりは、通常、時間や空間、或いは論理、因果関係の制約を受けず、しばしば時間や空間の跳躍や多変性と前後二つのシーンの間の時間や場所などの緊密な論理関連が欠乏していること、時間においてよく過去、現在、未来を交差させたり、重複させたりすることに現れる。しかし作品の構成は少しも混乱することなく、自由な連想は、根拠が全くない、或いは取り止めがないということもない。意識の流れ小説はしばしば、その時まさに進行している事件を中心として、人の意識活動にスタンスを提供し、触発物の誘発を通して、人の意識活動が絶え間なく“自由連想”或いは“内的独白”と言う方法により四方八方に散らばってはまた戻り、それを絶えず循環し、繰り返すことで芋づる式の立体的な構造を形成している。
 
 意識の流れ小説には代表的な意義を持った作家がいるとともに、そのような作品もいくつか挙げられる。アイルランドのジェイムス・ジョイスの『ユリシーズ』は最も典型的な代表で、それはレオポルド・ブルーム、モリー・ブルーム、スティーヴン・ディーダラスなどの人物の複雑な心理状態を集中的に表現した。その他に著名な例としてシュニッツラーの『グストール中尉』がある。シュニッツラーは比較的早く意識の流れの手法を用いて、第一次世界大戦以前のウィーンの雰囲気を再現した。またアメリカのウィリアム・フォークナーの小説『響きと怒り』はコンブソン一家三人の、目の前で体験した事件、或いは思い起こした事件に対して発生した断片的で印象主義的な思想上の反響を記録した。その他に例えばイギリスのヴァージニア・ウルフの『壁のしみ』がある。これは現象世界に相対する個人の心の体験や、壁のしみに面と向かって引き起こされる物思いを書いている。フランスのブルーストの『失われた時を求めて』も意識の流れ小説の代表的な作品とされており、小説は微に入り細にわたり過去のことに直面した物思いを描いており、このような物思いはここに存在するかすかな感覚を通して、無意識の中に潜んだ過去の心の中の体験を呼び起こし、重層的に表現している。
 
 意識の流れ小説には画一的な企画はなく、作家と作家の間で、国と国の間でこのような方法が用いられる時には、常に変化し、発展している。加えて現代の様々な文学流派(例えばヌーヴォーロマン、不条理演劇など)の作家にも、程度は様々だが意識の流れの手法を用いるものもいる。このためこのような手法の表現形式はさらに入り乱れ、変化には際限がない。意識の流れ小説は現代派文学の観念の革新を完成させ、それ自身も西洋現代文学の主な創作方法の一つとなった。
 
(『文芸学新概念辞典』文化芸術出版社 1990)
作成:田中洋子

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