“扁形人物”与“圆形人物”

”Biǎnxíng Rénwù“yǔ”Yuánxíng Rénwù“
“扁形人物”与“圆形人物”
扁形人物と円形人物

 イギリスの作家フォースター(Edward Morgan Forster 1879-1970)が『小説の諸相』(1927)第四章で、小説の人物像について用いた概念。

 「扁形人物」(或いは「扁平な人物」「平面的人物」「扁平人物」とも訳される)は、二次元人物とも呼ばれ、単純な性格の人物である。 17世紀においては、「性格」人物、後に「類型的人物」「漫画的人物」と呼ばれた。 「そういった人物のもっとも単純な形式は、簡単な概念或いは特性に基づいて創りされるものである。」 いわゆる「類型」とは、17世紀にジョーンズが言った「気質」に他ならない。フォースターは指摘する。 「扁形人物」は一種類の「気質」をそなえているに過ぎず、「一言で表現することができ」、「簡単な文によって完全に表現しつくすことができる」のである。 ゆえに、こういった人物は容易に見分けられ、記憶されやすく、改めて紹介しなおすには及ばない。 ある決まった軌道からはずれたり、コントロールが難しかったりすることがない。 彼らの性格は固まっており、環境の影響を受けない。環境の変化は、その性格の一定不変性を目立たせるだけである。 「扁形人物」とは、小説全体において、基本的に大きく変化しない、一言で説明できる人物のことである。

 「円形人物」(「丸い人物」「丸型人物」とも訳される)は、立体感を与える。 フォースターの考えでは、「円形人物」は関係が複雑で、生活環境が激変し、人物自身も環境の変化につれて変化する。 ゆえに多面的な複雑な性格を有している。 作家が「円形人物」を作り出すときは、「人を納得させる方法」で、人物を生活する人間同様に的確な把握が難しいような描き方をし、それによって新鮮な感じを与えるのである。 たとえば『虚栄の市』のベーカー・シャープである。「 」フォースターの指摘によれば、レフ・トルストイ、ドストエフスキー、プルースト、フローベール、サッカレー、フィールディング、シャーロット・ブロンテなどの著名な小説家はすべて「円形人物」を作り出す名手であった。

 「扁形人物」の考え方は、かつて評論界、創作界で否定的に論じられた。イギリスの小説家ノーマン・ダグラスは、D・H・ロレンスに宛てた公開状の中で、この「小説家の筆致」は「一般人の内心深く秘められた複雑性に対する理解を欠いている」と批判している。文学的目的のために、人物という素材から二三種類のもっとも人目を引く「特徴的要素」を選び出して、その特徴的要素と合わないものを削ってしまうのは、人生に対する一種の歪曲だと考えるのである。フォースターはそれに対して、人物の平面性とは、小説家の人間に対する認識が浅い、ということを意味するものではない、と弁明する。例えば、ディケンズについて、「彼の描く人物は、ほとんど平面的分類の人物である。ほとんどどの人物も一言で概括できるのである。しかし人間性の深みを有しているということを人に感じさせる人物でもある」と。しかしフォースターも認めるように、扁形人物の芸術的効果は、円形人物には及ばない。そこで彼は、複雑な小説を構想するには、扁形人物が必要であると同時に、円形人物も必要である、と主張する。さらに「扁形人物」と「円形人物」とは絶対不変のものではない、それらは相互転化することもありうる、とも指摘している。多くの状況において、小説家は同一作品の中で、扁形人物と同時に円形人物も描き、それによって相互補完の効果あげることができるのである。

 フォースターの小説の人物塑像に関するこの理論は、西洋の多くの評論家によって、直接的、間接的に運用されている。当代英国のプラグマティズムの文芸評論家ジョナサン・レーバンは、その『現代小説創作技巧』のなかで、文学作品を分析、評価するに際し、この観点を貫いている。近年来、わが国の文学理論界は人物の性格塑像、複雑化した性格などの問題を討論するに際し、フォースターの二つの述語は広く用いられている。(文:斉大衛

(『文藝学新概念辞典』文化藝術出版社 1990.4)

作成:青野繁治
 
 

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