报告文学

Bàogàowénxué
报告文学
報告文学、ルポルタージュ

 散文の一種。文芸的性格の通信、速写、特写などの総称。文学創作における「軽騎兵」。直接現実の生活における一定の典型的意義をもった実在の人物や事柄に取材し、適当な芸術的加工を経て、しかし虚構してはならないが、迅速にタイムリーに表現し、社会的作用を発揮するものである。

(『辞海・文学分冊』1981.11)

 叙事散文中、最もよく見られる一種で、速写、特写などの総称でもある。ニュース性と文学性の両特性を兼ね備え、文学的言語といろいろな種類の芸術手法を用い、生き生きとしたプロットと典型的な細部描写によって、迅速に、かつタイムリーに、現代生活における典型的意義をもつ実在の人物や出来事を「報告」する。適当な芸術的加工を加えることは可能であるが、虚構であってはならない。人物や事件の環境を描写するとき、しばしば事実を述べ、それに議論をはさむ、という方式で考えを述べる。従って作品によっては、往々にして鮮明な政治的色彩を帯びることになる。文学創作における「軽騎兵」と称される。 

中国の19世紀から20世紀初めにかけて、ブルジョア改良派の作家が書いた、西洋国家の社会状況を報道する文章は、もっとも初期の報告文学と言うことが出来る。現代の報告文学は、瞿秋白の『餓郷紀程』『赤都心史』に始まる。その後の三・一八や五・三○などの、重大事件や運動においても、その過程を記録した散文があるが、その性格からいって、これも報告文学に属する。

 しかし、報告文学という名称が中国に出現したのは、「左聯」成立以後である。「左聯」が労農兵通信員運動を展開するに際して、報告文学を創造しようという呼びかけを行った。「左聯」の刊行物にも、このスタイルを紹介する文章が翻訳掲載されている。1930年9月の『世界文化』第一期に発表された柔石の「ある偉大な印象」は30年代最初期の報告文学作品である。

 一・二八事件(上海事変)後は、上海軍民の英雄的に敵と戦ったニュース報道が生まれた。その基礎のもとに、阿英が『上海事変と報告文学』(1932年)を編集出版した。これが報告文学という言葉を題名に冠した最も早い文集である。1936年、報告文学創作は明らかな進展を見た。茅盾が巨大規模の報告文学集『中国の一日』を編集したことである。同年、この時期の報告文学の最優秀作品である夏衍の『包身工』が書かれた。 その後も絶えずこのスタイルの著作に従事するものがいて、形式上も日増しに完備されてきた。抗日戦争勃発後、報告文学の創作は繁栄の段階を迎えた。当時ほとんどあらゆる文藝刊行物に、相当な誌面を使って文学性の高い報告、通信の類の作品が発表されている。当時の作家はほとんどこのスタイルの執筆経験があり、夏衍、郁達夫、丁玲、沙汀、何其芳、丘東平、蕭乾などはそうである。

 解放戦争時期、報告文学の創作はより大きな成果を得た。このとき、多くの小説家、散文作家、詩人が報告文学を書いた。その重点は、解放区の軍民が党の指導下で英雄的に戦った事跡と解放区の新しい社会生活を描くことにあった。作者がたいてい事件を自ら経験していたので、描かれる人物や事件に対して、熱い思いを抱いており、比較的素朴な文章だけで、事件を血の通う物語に描くことが出来た。言語は、当時の小説芸術の民族化傾向の影響を受け、口語化、通俗化されており、構成的にも事件の全体性、連関性、に注意を払い、描写よりも叙述が多くなっている。この作者の集団は、広い大衆を基盤としており、作品の大衆における影響力も大きなものがあった。だから、この外来の形式は、大衆の中で、かろやかに普及していったのである。解放区の報告文学は、現代報告文学の最高の成果である。

(『 中国現代文学辞典』華岳文藝出版社 1988.12)

 現代散文の一種。文芸的性格の通信、速写、特写などの総称。作品は直接に現実生活のなかの一定の意義をもった実在の人物や事件から取材し、適当な芸術的加工を加えるが、虚構はしない。そのスタイルはヨーロッパの作家によって最初に用いられた。中国では五四運動以降、多くの報告文学作品が生まれている。瞿秋白の『餓郷紀程』は中国最初の報告文学作品である。30年代以後、中国の報告文学は大きく発展し、影響力のある作家、作品を生んだ。形式や風格もより多様になっている。

(『中国现代文学词典』上海辞书出版社1990.12)

 
作成:青野繁治

Chinese Literature Site

error: Content is protected !!