Liú Bànnóng
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(1891~1934 ) |
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人物紹介劉半農は中国の近現代史における文学家であり、言語学者、教育家でもあった。名は復(元は寿彰)、字は半農(元は半儂)。フランスのパリ大学への留学経験があり、そこでフランス国家文学博士の学位を取得した。帰国後は北京大学の教授に就任した。 劉半農の詩は、労働に従事する人々の生活やその苦しさについて、大衆的な言葉を使って書かれている。また、留学中に半農は自身の書いた「教我如何不想她」という詩の中で初めて、三人称の女性を表す「她」という字を初めて用いた。この後、三人称の女性を表すときには「她」が常用されるようになり、この点において劉半農は中国現代言語における重要な功績をおさめたといえる。 |
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年表1891年 5月27日に江蘇省にて産まれる。 |
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著作リスト
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作品紹介劉半農の詩は、労働に従事する人々の生活やその苦しさについて、大衆的な言葉を使って書かれている。また、留学中に半農は自身の書いた「教我如何不想她」という詩の中で初めて、三人称の女性を表す「她」という字を初めて用いた。この後、三人称の女性を表すときには「她」が常用されるようになり、この点において劉半農は中国現代言語における重要な功績をおさめたといえる。 天上飄著些微雲, 地上吹著些微風。 啊! 微風吹動了我頭髮, 教我如何不想她? 月光戀愛著海洋, 海洋戀愛著月光。 啊! 這般蜜也似的銀夜, 教我如何不想她? 水面落花慢慢流, 水底魚兒慢慢游。 啊! 燕子你說些甚麼話? 教我如何不想她? 枯樹在冷風搖, 野火在暮色中燒。 啊! 白天還有些兒殘霜。 教我如何不想她? これが劉半農の書いた詩「教我如何不想她」である。この詩の意味は、 雲が空を漂っており、かすかな風が私の髪を乱れさす。それと同時に、故郷に残っている妻への想いがあふれ出す。私はため息をつきながら“教我如何不想她?”とつぶやく。 夜になると銀色の月が広い海を照らしている。私は愛する人に寄り添うことができない、想っている人と一緒にいることができない。月と海というのは最高の組み合わせであり、二つを分かつことのできない情景は私の心にどんな感情を呼び起こすのだろうか?“教我如何不想她?” 水面に花が落ち、水中では魚が泳いでおり、空にはツバメが舞っている。この花は、ツバメが意図的に落としたものではないだろうか?この魚は、ツバメが現れたことによって水底に逃げたのではないだろうか?ひょっとしたらこのツバメは故郷からの知らせを伝えに来たものであり、私の心に深く語りかけているのではなかろうか。“教我如何不想她?” 枯れた樹が冷たい風に揺れ、朝焼けがまるで野火が燃えるかのように赤く映えている。「冷たい風」と「赤く映える朝焼け」の対比を見て、私の心の中に祖国に対する深い愛情が呼び起こされているのではなかろうか?“教我如何不想她?” と、いうものである。 この詩は劉半農がパリ大学に留学中に、遠く離れた祖国に残した妻を想い、書いた詩である。詩のタイトルは、はじめは《情歌》にしていたのだが、後に《教我如何不想她》と改めた。五四運動以前、「他」という漢字は男女どちらの三人称としても使われており、区別がなかった。しかし劉半農が《教我如何不想她》の詩中において、妻を指す三人称の代名詞に「她」を使ったことによって、当時の中国社会に「她」という漢字が広く浸透していった。 |
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作成:瀬谷和篤 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
著書(補)『半農雑文 第一輯』星雲堂書店 民國23年6月初版 上海書店影印 1983.8 |
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青野繁治 |