劉真

Liú Zhēn
劉真
りゅう・しん

(1930- )

自伝

 本名劉清蓮、1930年1月山東省夏津県太平荘の富農の家庭に生まれる。1938年、日本人が我々の県城を占領し、二人の兄は八路軍になっていたので、地主は偽軍と結託して我が家を全員殺害しようとした。一家全員逃げ出して流浪の身となった。敵はどこへでも追いかけてきたので、我々は運河の西の抗日根拠地に逃げ込んだ。1939年私は宣伝隊に参加して、冀南第六軍分区、冀南軍区等で宣伝員、俳優、連絡員を勤めた。解放戦争時期は、第二野戦軍文工団でずっと働いた。1943年に中国共産党に加入した。

 私は軍隊に入ってから文字を覚えたり書いたりすることを学んだ。1941年から日記を書き始め、戦争中も中断しなかった。1948年に文芸通信を書き始め、「千里躍進大別山」募集原稿集の上に発表した。1950年には自作自演の小劇本を書いた。

 1951年に処女小説「好大娘」を書き、『東北文藝』に発表したが、53年に全国児童文学三等奨を獲得した。51年から東北魯迅文藝学院で1年余り学び、52年に北京中央文学講習所に行って学んだ。1954年に作家協会武漢分会に配属され、専業創作に従事した。

 1953年から、「春大姐」「我和小榮」「核桃的秘密」「長長的流水」「英雄的楽章」などの短編小説を書いた。「我和小榮」は全国第二次児童文学奨の一等奨を得た。これらの小説は、中国少年児童出版社から何冊かの作品集となって出版された。1964年作家出版社から『長長的流水』が出版され、14編の小説が収められた。他に、つぎつぎと散文や特写などを書き、『人民日報』『新港』『河北文藝』などの刊行物に発表した。河北人民出版社から特写ルポルタージュ集を出版した。

 「四人組」打倒後、「黒旗」「她好像明白了一点点」「姑姑鳥」「余音」など8編の小説を発表した。これらは、17年期に批判され、名誉回復された「英雄的楽章」「在我們的村子里」らとともに、河北人民出版社によって作品集とされつつある。77年に散文「知耕鳥」を発表して以後、「哭彭総」など10数編の散文を書き、「文化大革命」以前に書いた散文と併せ、40数編を山西人民出版社から作品集として出版する予定である。「文化大革命」以前の小説は、作家出版社から『長長的流水』が再版され、上海小児社が小説集『三座峰的駱駝』を出版した。

(『当代文学』1981.1)

 邦訳

「黒旗」田畑佐和子/訳 『季刊中国現代小説』1巻2号
「少しわかってきたようだ」田畑佐和子/訳 『季刊中国現代小説』1巻13号

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 作成:青野繁治

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