劉紹棠

Liú Shàotáng
劉紹棠
りゅう・しょうとう

(1936.2.29~1997.3.12)

劉紹棠自伝

 私は、1936年2月29日に生まれました。北京通県儒林村出身です。1949年に作品を発表し始め ました。1953年5月中国共産党に入りました。1954年北京大学に入学し、中国文学を専攻しました。1956年3月全国青年創作会議に参加し、中国作家協会に入りました。現在は、北京市作家協会の専門作家兼党組成員、常務理事、また、北京市人大常委会委員、中国作家協会理事、国際ペンクラブ中国中心会員、そして、<中国郷土小説>の双書編集主幹です。
 50年代の代表作は<青枝緑葉>、<運河の声>等です。
 1979年以来、<地火>等の七部の長編小説、<蒲柳人家>等の四部の中編小説および<蛾眉>短編小説等を、発表、出版してきました。
 三十七年間の創作生涯において、”中国気派、民族風格、地方特色、郷土題材”を基にした郷土文学創作に力を注ぎ、<郷土と創作>等の三部の散文短論集を出版しました。
 1982年10月、ルーマニアベオグラードでの、国際作家会議に出席し、<郷土文学と私の創作>という発言をしました。
 1982年北京市の先進工作者に当選し、1983年北京市の人民代表に当選しました。
 1985年3月北京市人民代表大会常務委員会委員に当選しました。
 1985年6月、中国共産党北京市委員、北京市人民政府から表彰、普及奨励を受けました。
 1985年8月から9月にかけて南スラブ、西ドイツそしてソ連の国境を訪れました。
 1985年12月、イギリスの<世界名人録>に載せられました。

社会主義に力を注いだ郷土文学

 私は農村を心から愛している、農民を心から愛している。農村は私の生身立命の地であり、農民は私の太 い手と大きな足の両親であり、私の全ての小説創作は、恩と孝敬の心情に満ちあふれ、私の太い手と大きな足の両親の肖像画を描いている。私は30年あまりの生活を故郷の儒林村で過ごし、土地の老人達と一緒に呼吸し、運命を共にし、喜び、怒り、哀しみ、楽しみを共有した。このことにより、私は一生農民を描くことを決心し、第一に農民のために描いた。
 私は自分の短所がわかっていたし、それと同時に、自分の長所もわかっていた。自分の劣勢をはっきりみてとれたし、自分の優勢を発揮することもできた。つまり、私は、自分にはできることとできないことがあるのを知っていたし、ためになることとためにならないことがあるのも知っていた。1980年1月から中編小説<蒲柳人家>の創作に取り掛かり、私は郷土文学創作に力を注ぐことを決心した。
 中国新文学の偉大な師匠であり創始者である魯迅先生は、中国郷土文学の開拓者でもある。彼の著書である<孔乙己>、<風波>、<故郷>、<阿Q正伝>、<社戯>そして<離婚>に書かれていることは彼の故郷である紹興地方の農民の生活ではなく、豊かな地方色の紹興村の風土と人情であり、郷土文学の上朽の名作である。
 主要な小説創作にたずさわったのと同時に、私は創作実践の総括を通じて、郷土文学の理論上の討議を行った。
 私が力を注いだ郷土文学は、社会主義郷土文学で、弁証唯物主義と歴史唯物主義の科学思想をもって指導的革命現実主義の創作方法とすることを堅持し、中国気派と濃厚な地方の特色を保持、発揚し、中国文学の民族風格を堅持、発展させるべきである。
 作家は人民の芸術鑑賞の習慣を尊重すべきである。なぜなら、作家は人民精神の糧の製造者であるからだ。それゆえ、私は中国古典小説の伝統を学び、できるだけ伝奇性と真実性、通俗性と芸術性とを相結合させ、教養のある人には読んでわかり、かつ読んで楽しめるように、また、教養のない人には聞いてわかり、かつ聞いて楽しめるように、通俗的でありながら上品であるようにした。芸術技巧の上では、できるだけ人物の個性的な言葉で、人物の性格を描写し、また、人物の心理活動を暗示し、動態中の細部の正確な描写を通じて人物の形象を描写するようにする、つまり、できるだけ自然にゆったりと、うわべだけを飾りつくろうことをやめ、過度に文章を飾らずに、人物や生活の本色に接近するべきである。
 中国の<詩経>以来二千年あまりの文学遺産は、豊富で十分で偉大であり、詩、詞、散文、戯曲、小説の全てにおいて水準が極めて高く、世界文学の高峰にちっとも恥じた顔つきもなく高くそびえ立っている。つまり、私が中国文学の宝庫を学習しようと、いまだ大海のひとさじの水もくんでいないのだ。しかし、私は決して外部と交渉をたっているわけではない。つまり、私が三十年間たずさわってきた文学創作の中で、中国語に翻訳された外国の大作家の吊著をたくさん閲読し、しかも深く影響を受けたのだ。しかし、私は外国文学が上っ面の知識で模倣し、機械的に当てはめられているのには反対である。
 西方のことを学習するか、東方のことを学習するかにかかわらず、次の三つを離脱してはならない。
 第一に、個人の実際を離脱することはできない。どんな種類のどんな作家の表現手法を学習するかにかかわらず、自分の経歴、教養、学識、気質、学習するのに適するかどうかを考慮せずに、学習できるだろうか?第二に、社会の実際を離脱することはできない、また、国情を忘れてはならない。つまり、あなたがある種のある作家の表現手法を学習したいと思う時、さらに考慮しなければならない、それがあなたの奉仕する対象なのだろうか、つまり、広大な人民群衆の歓迎するところだろうか?人心の支持と反対を軽視することはできない。第三に、作品内容の実際を離脱ことはできない。あなたがこの種のこの作家の表現手法を学習したいと思う時、それはあなたの作品の内容に適しているだろうか?形式を学ぶために内容を害することは、足を削って靴に合わせるということである。靴の見栄えはいいが、この靴をはくために足を切るような間抜けは世界中に一人もいないだろう。
 世界各国の文学、各国の作家は、お互いに交流し、お互いに学習すべきである。私達は魯迅先生の「拿来《主義を実行すべきであり、魯迅先生のように「拿来《すべきである。しかし、交流、学習、「拿来」は、必ず長所を取り入れ、短所を補うためのものでなければならない。民族自尊心や民族自信心を失うことは、つまり民族自強心を持つことができないということであり、このことは国を閉ざして、保守的で新しいものを受け入れようとしないのと同様に有害で利益がない。

(『中国当代作家百人傳』求実出版社1989)

作品目録:

≪青枝緑葉≫(短編小説集)1953年上海文芸出版社出版
≪山[木査]樹的歌声≫(短編小説集)1954年上海文芸出版社出版
≪私訪集≫(短編小説集)1957年人民文学出版社出版
≪中秋節≫(短編小説集)1957年通俗読物出版社出版
≪運河的[将/木]声≫(中編小説)1955年上海文芸出版社出版
≪夏天≫(中編小説)1956年上海文芸出版社出版
≪劉紹棠中編小説集≫1981年湖南人民出版社出版
≪鷓鴣天≫(中編小説)1982年江蘇人民出版社出版
≪魚菱風景≫(中編小説)1983年黒竜江人民出版社出版
≪瓜棚柳港≫(中編小説)1983年吉林人民出版社出版
≪春草≫(長編小説)1980年吉林人民出版社出版
≪地火≫(長編小説)1981年黒竜江人民出版社出版
≪狼煙≫(長編小説)1983年吉林人民出版社出版
≪豆棚瓜架雨如絲≫(長編小説)1986年北京出版社出版
≪敬柳亭説書≫(長編小説)1986年湖南文芸出版社出版
≪這個年月≫(長編小説)1986年中原農民出版社出版
≪劉紹棠小説選≫1985年四川文芸出版社出版

作品集・単行本

『劉紹棠小説選』北京出版社 北京文学創作叢書 1980.9/0.90元
『小荷才露尖尖角』中篇小説集 花城出版社 1984.3/1.40元
『郷土』劉紹棠編 郷土文学短篇小説集 人民文学出版社 1984.9/2.10元
『煙村四五家』中篇小説集 上海文藝出版社 1985.8/2.15元
『蒲柳人家』中篇小説集 人民文学出版社 1985.8/3.35元
『京門臉子』長篇小説 花山文藝出版社 1986.11/1.85元

『野婚』長篇小説 花城出版社 1988.4/(精装)4.90元
『我的創作生涯』回想記・随筆集 中原農民出版社 1988.4/2.40元
『論文講書――文学創作指導』序文・後記集 語文出版社 1989.7/2.35元
『郷土文学四十年』論文・通信 文化藝術出版社 1990.2/3.50元
『孤村』長篇小説 作家出版社 1993.2/6.10元
『地火』長篇小説 群衆出版社 1995.3/9.80元
『野婚』京味文学叢書 北京燕山出版社 1997.8/21.00元
参考書

『大運河之子劉紹棠』鄭恩波/著 社会科学文献出版社 1991.9/4.20元

翻訳作品

「青藤横丁ものがたり」(青藤巷挿曲)杉本達夫/訳 『季刊中国現代小説19』1991.10

作成:栗沢 真紀子

Chinese Literature Site

error: Content is protected !!