台静農

Tái Jìngnóng
台静農
たい・せいのう

(1903~1990.11.9)

台静農小伝

 安徽霍丘の人。ペンネームは、青曲、聞超、孔嘉、釋耒などを用いた。中学校中退後、北京大学中文系の授業を傍聴した。北京大学国学研究書で働きながら学んだ。この間、魯迅が支持し影響を与えた文学団体未名社に積極的に参加、韋素園、李霽野、李何林らと交友関係を結ぶ。
 1920年代後半には『莽原』半月刊や『未名』半月刊に一系列の短篇小説を発表し、1928年に最初の短篇小説集『地之子』に結実させ、魯迅に「農村の人の生き死にや泥土の息吹を紙の上に移した」と賞賛された。『地之子』は農村の貧しい農家の生活に多く取材し、素朴な風格で、世の中の悲劇を如実に描いており、中国現代文学における郷土文学の初期の代表作である。
 1930年、第二短篇小説集『建塔者及其他』を出版。その思想はさらに激進し、不合理な現象に対する憤慨と明るい未来にあこがれる激情を表現し、先知者の誠意と赤い血を捧げる唯一の信仰と偉大な犠牲の精神を謳歌して、1920年代中国の進歩事業における得難い文学的成果となった。
 1930年代には、北平輔仁大学、青島の山東大学で教鞭をとっている。
 抗日戦争勃発後は、四川白沙女子師範学校で教鞭を執り、中文系主任をつとめる。勤務時間外に、小説、散文、論文を少なからず書き、魯迅先生の品格と文学作品を崇拝する結果として、時局に対して厳しく鋭い分析を行い、濃厚な民族的感情と発奮して強くなろうとする人生態度を表現している。
 戦後は台北へ行き、台湾大学教授に就任。1949年以降は環境の制約もあって、教育、研究と書法創作を中心に活動し、教育者、学者、書家として名をなした。折に触れ散文を執筆、1988年に『龍坡雑文』を出版している。晩年の作品には懐旧の情が言葉に現れており、中華の大地に対する深い想いが込められている。その文章は最高の水準に達し、恬淡たる風格は、感情の奔放さと対比され、格別感動的である。死去後の1992年に『我與老舎與酒』が出版されている。その生涯の文学的業績は広く肯定的にとらえられ、一代の学者の模範、「中国新文学の灯りをともした人物」の一人として尊敬されている。

(『中国現代文学百家 台静農代表作』華夏出版社 1998.1)

著書

『中国現代文学百家 台静農代表作』華夏出版社 1998.1

研究資料
 
作成:青野繁治

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