周立波

Zhōu Lìbō
周立波
しゅう・りつは

(1908~1979)

周立波小伝

 本名は周紹儀、周鳳翔、周菶梧、ペンネームは立波、張一柯、張尚斌などを用いた。湖南益陽の人。長沙省立一中、上海労働大学などに学ぶ。1932年ストライキに参加し逮捕され刑に服す。1934年刑期満了し出獄、「左聯」に加入、同年末に中国共産党に加入。「左聯」において党と団の工作を行なうほか、『毎週文学』の編集にも当たった。抗日戦勃発後、八路軍総司令部および晋察冀辺区での抗日工作を行なった。新聞社の編集担当、副社長、「魯藝」編訳所長兼文学系教員、省委宣伝処処長などを勤めた。解放後作家協会理事に当選。湖南省文聯主席、党組書記兼『湖南文学』編集長を勤める。
 1934年上海で『毎週文学』の編集に当たっていたとき、執筆を始め、文藝翻訳の仕事に従事する。訳著にはショーロホフの『開かれた処女地』第1部、プーシキンの『ドブロフスキー』およびチェコのドイツ語作家キッシュ(Egon Erwin Kisch)のルポルタージュ『秘密の中国』などがある。1938年に八路軍の英勇抗戦を描いたルポルタージュ集『晋察冀辺区印象記』および『戦地日記』を発表した。
 代表作『暴風驟雨』は最も早く我が国の農村土地改革運動を反映した長篇小説で、構成が雄大、勢いに溢れ、人物は鮮明で生き生きしており、新民主主義革命時期の農村の台風のような階級闘争の一大絵巻となっている。1951年スターリン文学賞金三等奨を受賞した。解放後、新しい創作領域を開拓するする意図のもと、1954年に開国初期の工業建設を反映した長篇小説『鉄水奔流』を完成した。1959年に書かれた『山郷巨変』は、作家の芸術的な成熟を表している。これは作家が故郷の益陽に戻って、居を定め、農村の合作化運動の全過程を自ら体験し、蓄積した豊富な創作素材にもとづいて書きあげた優秀な長篇小説で、我が国の農村のもう一度の深い歴史的変革を体現し、『暴風驟雨』の姉妹篇と称するに堪えるものである。
 周立波は我が国の現代文学史上において、業績の優れた影響力の大きな作家である。芸術上は、茅盾が言ったように、「『暴風驟雨』から『山郷巨変』まで、周立波の創作は、二つの線に沿って展開されている。一つは民族形式、今一つは個人的風格である。正確に言えば、彼は民族形式を追求するときに次第に自分の個人的風格を確立していったのである。彼は旧伝統的長所を吸収するのに長けていたが、その束縛は受けなかった」のである。彼の作品は構成を重んじ、方言を用いることに巧み、筆遣いはきれいでするどい。言葉は含蓄とユーモアがあり、人物は素朴に描かれる。銅鑼や太鼓のように細やかなリズムを刻むなかに軽いユーモアの筆づかいを挟み込んで、地方的色彩に富んでいる。

『中国当代文学手冊』湖北教育出版社 1988.6

著書・単行本

『周立波魯藝講稿』上海文藝出版社 1984.8

研究書・参考書
 
邦訳
 
作成:青野繁治

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