孟偉哉自伝:
私は1933年12月10日生まれ、原籍は山西省洪洞県北庄村である。1948年6月以前は、故郷で断続的に小学校に通い、中学校にも合格していたが、入学する前、1948年6月8日に兵隊となって、解放戦争と朝鮮戦争に参加した。朝鮮の戦場で負傷した後、1953年6月にに帰国。1954年9月から天津南開大学中文系に学んだ。1958年10月中国人民大学の助手さらに講師をつとめる。1964年9月より、中共中央宣伝部文藝処につとめ、その後、寧夏のトンガリ砂漠周辺の五・七幹部学校で4年間を過ごす。1973年7月人民文学出版社勤務となり、編集室主任、副総編集長兼『当代』誌副主編などを勤めた。学術上の職名は編審(編集審査委員?)である。
この間、1975年10月から1977年4月まで、『詩刊』編集部主任をつとめた。1984年6月、青海省勤務となり、省委員会宣伝部副部長、省文化庁庁長、『現代人』主任をつとめる。1985年12月、人民文学出版社社長兼『当代』主編となる。
1954年5月から短篇小説や詩歌を発表し始めた。1956年3月、全国青年文学創作者会議に出席、同年、中国作家協会天津分会に加入。現在、中国作家協会理事、国際ペンクラブ(中国センター)会員。
若干の見解
真剣に人生を観察し、人生について考え、人生を描く作家の作品でありさえすれば、その内容と形式がありふれたものでも奇抜なものでも、ヒロイックなものでも批判的要素の強いものでも、究極のところでは、ある種の歴史的価値、哲学的価値をもつであろう、と私は考える。芸術的審美の極致は歴史的な或いは哲学的な発見にほかならない。
ゆえに、どの時代(或いは歴史段階)の作家でも理解不能だとは思わないし、どの時代の作品でも研究する価値がないとは思わない。歴史は変えることができない。我々の責任はそれがなぜそうなったかを、明らかにすることにのみ存する。
私は我が国のいくつかの異なる歴史段階を経験した。そして私は自分の作品も、小さな歴史の鏡であると言えるように思う。それははっきりと或いは漠然と、私が感じ取った生活を反映しているのである。どれだけたくさんの題材を渉猟しようと、どれだけたくさんの形式を試そうと、私が私の理解する正しいもの、気高いもの、合理的なもの、美しいもの、それから人の道にのっとった人生を追求してきたことに変わりはない。私は私の創作をその結果と考え、それ以上の贅沢を追求しようとは思わない。
(『中国当代作家百人傳』求実出版社1989)
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