![]() ![]() |
Zhāng Xīn
|
(1954- ) |
張欣小伝: 祖籍は江蘇省。1954年北京に生まれる。1969年解放軍入隊。衛生員、看護婦、文工団創作員などの仕事に従事。1984年転職。1990年北京大学作家班を卒業し、現在は広州市文芸創作研究所創作員。 (『真純依旧』紅罌粟叢書 河北教育出版社 1995.4) |
私は誰? 7月14日生まれ、江蘇の人。16年間服役、その後文学に転進。 (『張欣文集 世事素描』群衆出版社 1996) |
作品集・単行本『真純依旧』紅罌粟叢書 河北教育出版社 1995.4 |
![]() |
| 作成:青野繁治 |


私が最終的に作家になったのは偶然ではない。小学生では、算数は並の学力だったが、3年生の作文は、クラスでいつも先生に朗読される模範文だった。そのころから、一貫して「文学者」になりたいと思っていた。しかし誰もが知っている原因(訳注:文化大革命)のため、小学校までしか行けなかった。30数歳になって北京大学の作家班で学んだ理由の一つは補習、もう一つは夢の実現、ということだ。
結婚相手は商売人で、仲のいい友人にも商業界の人物がいる。彼らのエリアの話を聞くと、新鮮に感じられる。文学の外にとても大きな世界があって、そこに各種各様の人々が生活し、そこで発生する本当の出来事は文学や小説より生き生きしている。こういった人々はクンデラは知らないが、瓊瑤は知っていて、災害地区に巨額を寄付するけれども、道端の乞食にはビタ一文施さない。彼らは知恵をしぼってお金を稼ぎ、夜な夜な楽しむ。(金はかかるが、その為に働いているのだ。)善でも悪でもない人々も多く、リアリティをもって生きている。要するに、文学のエリア内で書き、エリア内のものを読み、エリア内で互いに批評鑑賞しあう文学には嫌気がさしている。文学は私の心の中では、一定の民衆性がなければならない。自分たちのエリアの中だけで、読み、批評しあうなら、学術論文とどう違うのか。だから、私は自分の書くものは、読みやすく、真実を述べることを要求し、虚偽や虚飾や低級な趣味は求めない。旅行者が乗車前に買って読み、下車のときに捨てられ、二度と手にとられることはないとしても、その人の車上での空白を埋めることが出来さえすれば、少なくとも文章としての使命の半分、つまり人生を楽しませることを達成したわけで、私は気にしない。
