張聞天

Zhāng Wéntiān
張聞天
ちょう・ぶんてん

(1900~1976)

張聞天小伝

 無産階級革命家、文学者である。字は思美、別名洛甫、上海川沙の人。ペンネームは、三愛、平江、于懐、張普、洛夫、洛甫、趙天、羅夫、羅俘、思美を用いた。1917年南京河海工程専門学校に学ぶ。五四運動勃発後は、反帝愛国闘争に積極的に参加し、『時事新報』副刊「学灯」に文学作品を発表、同年少年中国学会に参加。1920年7月に沈澤民と日本に行き日本語を学ぶ。翌年1月上海に戻り、中華書局の編集員を務めるとともに、文学研究会に参加、積極的に外国文学の翻訳紹介の仕事に従事し、外国文学の名著の紹介を中国社会の現実と関連付けて紹介し、民衆を覚醒させ、人生に執着し、人生を発展させようとする思想を表現した。1922年アメリカのサンフランシスコへ行き、働きながら学び、同時に多くの外国の演劇や長編小説を翻訳した。1924年中国にもどり、中華書局の編集員をしつつ、長編小説『旅途』および劇本『青春的夢』を発表した。『旅途』は、五四退潮期の青年知識分子が苦悶と彷徨から立ち上がり、中国の改造のために雄々しく戦う過程を反映している。『青春的夢』やその他の短編小説、散文は、作者の旧中国、旧文化に対する批判的態度を強烈に反映している。1925年に中国共産党に参加、同年、ソ連に行き、モスクワ中山大学、紅色教授学院で学習及び工作を行い、コミンテルン東方部で働いた。1930年に帰国。中共中央宣伝部部長、中央政治局常務委員、ソビエト区中央局宣伝部部長、中央工農民主政府主席などの職につく。1934年長征に参加。1935年、遵義会議において、中共中央政治局常務委員に選出される。1938年以後は中共中央書記処書記兼中央宣伝部部長、西北工作委員会主席、マルクスレーニン学院院長を務める。1946年以後は、中共合江省委員会書記、遼寧省委員会書記を務める。1951年には中国駐ソ連大使、1955年には帰国し、外交部第一副部長を務めた。1959年の中共第八回中央委員会全国大会後は、中国科学院経済研究所特約研究員をつとめ、政治経済学方面の理論的研究に従事した。

(『中国現代文学詞典』1990.12)

主要著書・訳書

『獄中記』オスカーワイルド著 汪馥泉と共訳 商務印書館 1922 
『狗的跳舞』アンドレーエフの戯曲 商務印書館 1923 
『近代文学』伊達源一郎著 汪馥泉と共訳 商務印書館 1923 
『笑的研究』ベルグソン著 商務印書館 1923 
『羅素論文集』バートランドラッセル著 楊端六と共訳 商務印書館 1923 
『盲音楽家』コロレンコ作長編小説 中華書局 1924 
『琪珴康陶』ダヌンツィオの戯曲 中華書局 1924 
青春的夢張聞天作 劇本 中華書局 1924 
『但底與哥徳』評論集 愈之、維雄との共著 商務印書館 1924 
『旅途』張聞天作 長編小説 商務印書館 民國14(1925)年12月初版20年1月3版 上海書店影印 1985.6 『倍那文徳戯劇集』ベナベンテの演劇台本集 沈雁冰と共訳 商務印書館 1925 
張聞天早年文学作品選程中元編 人民文学出版社 1983  

 
研究書

『張聞天與新文学運動』程中元著 江蘇文藝出版社 1987.8

 作成:青野繁治

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