徐訏小伝:
本名徐伯訏。1908年浙江省慈渓生まれ。1931年に北京大学哲学学科卒業後、心理学修士過程終了。そ の後、上海で『人間世』、『天地人』、『熱風』などを編纂。1936年フランスに留学し、博士号取得。“ 七七事変”が起こり、急いで帰国する。上海にとどまった後、重慶に移り中央大学師院国文系で教鞭をと る。1944年『掃蕩報』のワシントン特派員となり、日本降伏後帰国。1950年香港到着後、新亜書院、浸会 学院などで教鞭をとりつつ創作し、1980年病死。
徐訏の創作はおおよそ二期、大陸時代と香港時代に分けることが出来る。前期に『鬼恋』『吉普 的誘 惑」『荒謬的英法海峡』『精神病患者的悲歌』『風蕭蕭』などを創作した。名作になった『鬼恋』はフラ ンス留学中に創作され、1937年の「宇宙風』に発表された。『風蕭蕭』は徐訐大陸時代の代表作であり、 1944ん年に完成し、40万字に及ぶ大作となった。一世を風靡した後、ある人によると、『掃蕩報』に連 載された時「重慶では、皆手にし読んでいた」。香港の30年間に徐訐は、多くの小説、詩歌、散文、脚 本、雑文などを創作した。中でも、長編小説である『江湖行』は徐訐のこの時代の代表作で60万字にも 及び、壮大な構成で、登場人物も多く異なった生活面に及んでいる。
早期、徐訏は社会主義思想の傾向が有り、『郭慶記』『禁果』に反映されている。渡仏後、彼の思想 に大きな転換がみられ、作品には現実闘争を避け、人性と愛の表現に熱を込めることになる。香港での作 品は、大陸生活と香港の現実生活を取材し、異なった角度、側面から現実社会の問題に触れ、作者の不幸 せな人に対する同情と地位、財産へ走る人情への感嘆を表現した。徐訐の小説を総観すると、多くが凡人 凡事であり、恋愛婚姻は彼の創作の基石であり、人性と愛は彼が最も愛した表現の主題である。彼の作品 は、奇怪な人物、変化に富んでいるストーリー、細かな心理の描写、深邃、劉以鬯は「徐訐の小説は色彩 の」鮮やかさに驚くものがあるが、霧の中で花を見るような感覚も生み出している。」と述べている。( 『50年代初期の香港文学』)
資料によると、徐訐はおよそ2千万言を創作、、60余りの文学作品を出版し、台湾中書局が出版した 『徐訏選集』は18巻に及ぶ。香港文学批評家の壁華は「海外の中国作家の中で、作品の数と素質におい てはもちろん、徐訏は傑出していると思う。彼は終始文芸に身を投じ、人生を文芸創造にささげた。」と 述べている。(徐訏選集・前言』)これは徐訏に対する正当な評価である。
|