徐遅

Xú Chí
徐遅
じょ・ち

(1914.10.15~1996.12.13)

徐遅小伝

 本名商寿、浙江呉興の人。1931年から1933年まで、蘇州東呉大学や燕京大学に学ぶ。1933年に詩作を開始。1936年に最初の詩集『二十歳人』を出版。
 抗戦勃発後、上海、香港、重慶を転々とする。この間、戴望舒、葉君健と英語版『中国作家』の編集に当たる。また郭沫若を助けて『中原』月刊の編集に当たり、少なからぬ作品を創作したり、翻訳したりした。戦後、重慶を経て上海に行き、一度は郷里に戻って教員をした。
 新中国建国後は『人民中国』英語版の編集を担当。『詩刊』の副主編を担当。1960年、湖北文聯の配属となり、専業創作を開始。大量の詩、散文、特写を執筆しているが、なかでも画家常書鴻の祖国の芸術事業への献身を反映したルポルタージュ『祁連山下』は、反響を呼んだ。
 「四人組」打倒後は、科学者の生活を描いた「地質の光」「ゴールドバッハの予想」などは、難解な科学を藝術的イメージに抽象化して、好評を博し、1981年に全国優秀報告文学賞一等賞を獲得した。
 作家協会湖北分会名誉主席、湖北省文聯副主席。(徐健華)

(『中国現代作家大辞典』1992)

著書
 
研究資料

『中国当代文学研究資料 徐遅研究專集』浙江文藝出版社 1985.2

作成:青野繁治

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