従維煕小伝:
当代作家。かつて碧征のペンネームを使ったことがある。
1933年4月7日生まれ。河北省遵化県(現在区画整理により玉田県に属する)代官屯の人。幼年期は故郷で暮らすが、初級中学は、北京二中を経て通県男師付属中学に転校。
1950年に北京師範学校に入学。学生時代は孫犂の作品の影響が深く、またロシアの作家ツルゲーネフの作品も愛読した。1952年碧征のペンネームで処女作「共同的仇恨」(『光明日報』)を発表。
その後孫犂が編集長をつとめる『天津日報・文藝周刊』に散文や小説を発表する。師範学校卒業後は、『北京日報』文藝組編集に配属、その後は農村組記者を兼ね、『文藝学習』『新観察』『新港』『北京文藝』『河北文学』などの刊行物に、小説、散文を発表した。それらは上海の新文芸出版社から出版された短編小説集『七月雨』『曙光昇起的早晨』に収録されている。
1956年全国青年文学創作者会議に出席、中国作家協会に加入した。同年専業創作を開始、農業協同化を背景とする長編小説『南河春曉』(新文藝出版社)を出版。この間、二度にわたり北大荒青年開拓区での生活を体験した。
1957年北大荒の生活を反映した小説『第一片黒土』の執筆に着手した時、誤認されて「右派」のレッテルを貼られた。困難な条件の下にこの小説を書き上げたものの、原稿は「文化大革命」によって灰燼に帰した。1957年以後は、鉄道労働者、炭鉱労働者、旋盤工、フライス盤工、陶工、土木工、農業工、園芸工などの職を転々とした。「文化大革命」中は西山労働改造農場に送られた。
1976年10月臨汾地区文聯に配属され、専業創作に従事する。
1979年1月、北京に呼び戻される。現在中国作家協会北京分会常務理事、『北京文学』編集委員。近二三年内は中編小説の創作に従事、「遠去的白帆」「大墻下的紅玉蘭」「泥濘」「遺落在海灘上的脚印」「菊」「傘」など十部の中編小説を書いた。これらは1980年に『従維煕中編小説集』(中国青年出版社)となって結実し、そのなかの多くが外国語に翻訳された。「大墻下的紅玉蘭」は1977年・1980年優秀中編小説二等奨を受賞、映画『第十個弾孔』は1980年文化部優秀故事片奨を受賞。1982年には長編小説『黄金歳月』の一部分を『十月』第一期に発表、短編小説集『潔白的睡蓮花』(春風文藝出版社)を出版。
(『中国文学家辞典』現代第三分冊四川文藝出版社1985)
|