戴晴

Dài Qíng
戴晴
だい・せい

(1941- )

戴晴小伝:

当代女流作家。本名傅凝。1941年8月四川省重慶市に生まれる。父親は革命烈士。1946年から、母親に従って北京、東北などを転々とした。その後中国人民解放軍四野幹部子弟小学に伴い南下、1954年武漢で卒業を迎えた。1960年北京の中学を卒業の後、ハルピン軍事工程学院オートメーション専攻に入学。1966年卒業、北京で技術員をとなった。
1978年南京解放軍外語学院で2年間英語を研鑚。1979年処女短編小説「盼」(『光明日報』)を発表し、好評を博す。1980年中国作家協会対外聯絡部で働く。1982年中国作家協会に加入。翌年部隊から離れ、『光明日報』社の記者となる。それと前後して、『十月』『上海文学』『文匯月刊』など様々な刊行物に短編小説を発表した。報告文学「與祖国的文明共命運」(1982年『文匯月刊』)は第二回全国優秀報告文学奨を受賞している。

(『中国文学家辞典』現代第四分冊、四川文藝出版社1985.8)

 戴晴、本名傅凝、1941年8月四川重慶に生まれる。父は葉剣英の親友であったが、戴晴が生まれた年、北京地区の抗日活動に従事して犠牲となった。それで戴晴は幼少から葉剣英に引き取られ娘として育てられた。
1960年戴晴はハルピンの軍事工程学院に合格し、卒業後は軍委総参三所に派遣された。文革後南京解放軍外語学院で2年間英語を研鑚、この期間中に処女作「盼」(短篇小説)を発表して好評を博した。
修了後、中国作家協会対外聯絡部ではたらく。
 1982年作家協会に加入。翌年、光明日報記者に転じ、仕事の関係で各界の著吊人を訪問し、またなかなか目にすることのできない档案資料を読む機会を得て、「王實味與『野百合花』」「儲安平與党天下」など「過去の人物評価を覆す文章」を書き、その率直で大胆な発言は内外の各界の注目を集めた。
1988年中国婦女聯合会執行委員に任ぜられる。1989年6月5日「暴乱鎮圧」に対する不満から、憤って共産党脱退を宣言した。7月中旬には逮捕され投獄された。
 1990年5月9日に釈放、同月『明報』に長文の「我的入獄」を発表、内外から注目される「焦点人物」となった。

(『我的入獄』明報出版社1990.7)

作品集・単行本

『不』短編小説集、花城出版社、1982
『最後一個楕圓』短編小説集、北京出版社、1983
『魂』散文集、江西人民出版社、1983
『音楽與イ尓』翻訳、天津人民出版社、1983
『我的入獄』明報出版社1990.7

関連書

『性観念的躁動』性及婚恋報告文学集 1988.9/3.80元 洛恪との共著「女重婚犯」を収録
『女十人談』性愛問題紀実文学集 1989.1/3.30元 洛恪との共著「性“開放”女子」を収録

 
邦訳

「ブーメラン《(飛去来)田畑佐和子/訳 『季刊中国現代小説9』蒼蒼社 1989.4
「別れられずに重婚」林郁/編訳『「性」を語り始めた中国の女たち』 徳間書店 1989.12.31
「戴晴・私の入獄」(我的入獄)田畑佐和子/訳 『中国研究月報44-5』中国研究所 1990
『毛沢東と中国知識人』田畑佐和子/訳 東方書店 1990.12.10

 
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 作成:青野繁治

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