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Yū Líhuá
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於梨華小伝:於梨華,女流作家。原籍は浙江鎮海。1931年11月28日上海に生まれる。抗日戦争中は福建,湖南,四川などを転々とし、かつては福建省南平の小学校や四川省広漢の中学校に通う。抗日戦争に勝利した1946年に浙江省寧波に戻ることになる。 1946年末台湾に渡り、台中女子中学校で学んだが、その時には既に文学に熱中しており、銭鍾書の《囲城》の評論文を書いている。 1949年高校を卒業後、台湾大学外国語学部に入学し、翌年には歴史学部に編入する。大学時代には既に夏済安が主な編集を務める《文学雑誌》などの雑誌や新聞でいくつかの草稿を発表している。 1953年大学を卒業しアメリカに留学する。翌年ロサンゼルス大学の新聞学部に入り、1956年修士の学位を取得する。同年英語で書いた短編小説《揚子江頭童多愁》が同校設立の,MGM映画会社文芸賞において最優秀賞を獲得する。その後数年は家事で忙しく、英語で原稿を書くことはしばらく出来ず、1961年から中国語で作品を書き始める。翌年長編小説《夢回青河》を書き上げる。台湾に帰省した時には《皇冠》雑誌に連載されると同時に「小説選集」というテレビ番組でも紹介され、1963年から出版される。 アメリカに帰った後も執筆活動を続け、1967年代表作《又見棕櫚、又見棕櫚》を出版。台湾嘉新小説賞を受賞する。この小説は台湾人アメリカ留学生が月日を重ねるうちに、学業を成就させるという内容で、根拠のない寂しさや、苦しみ、迷いを強く感じ、愛情さえも慰めにならない、“根拠のない時代”の典型と呼ばれる。この小説は海外を放浪する中国人が文化上の共通点と就職先を探し求める中、共通して持つ苦悶の心理を指摘しており、そのため“根拠のない時代”の代表作として賞賛される。 1968年ニュ-ヨーク州立大学アルバニア分校で中国文学、中国語会話、中国語作文などを教え、1977年には同校の国文研究部の主任をつとめるが、放課後には創作活動を続ける。 1975年と1977年の二度中国に帰省し、その後《新中国的女性》、《誰在西双版納》を発表する。在米学者としての情熱をもって講演をおこない、“四つの現代化 ”の建設に力を尽くすことを題材にした中編小説《三人行》を出版する。 1980年には於梨華創作20周年記念として香港天地図書公司から《於梨華作品集》を出版する。この作品集には14部の作品が収められており、また銭鍾書が題字を、楊振寧が序文を書いている。ほとんどの作品は台湾人アメリカ留学生の恋愛問題や、家庭内の矛盾、学業上の問題、仕事上の挫折、そして遠く祖国を離れることから生まれる寂寥感、郷愁の念などを描いており、“留学生文学の元祖”と呼ばれる。人物描写において、彼女は人物の性格や心理状態を細やかに描写することを得意とし、言葉使いにおいては、西洋文学の語法や構文を引用することで、簡潔で読みやすく、謹厳で白話文のような風格を作り出している。 台湾の評論家は「彼女の文章の書き出しはいつも豪気をたもっている。また身体は海外にあっても心は故国にあって民族意識に満ちている。そして女らしさだとか女々しさだとかを持たない女流作家のなかでは少数派の一人だ。」と語っている。彼女はヨーロッパ文学をよく読んでおりその影響を少なからず受けているようだ。しかし中国の古典作品もずっと読み続けており、現代文学の中では銭鍾書の《囲城》や白先勇の作品を好んで読んでいる。また近年《姐妹吟》、《母女情》などをまとめた短編集《相見観》を台湾で発表する。同時に上中下の3冊に分かれる長編を新しく手がける。この長編はある女性の18歳から80歳までの人生と家族愛を通じて中国のここ数十年の 変遷を反映している。 |
作品集・単行本『夢回青河』台北皇冠出版社、1963 |
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| 作成:後藤聡子 |

