Shī Zhécún
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(1905.12.3-2003.11.19) |
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施蟄存小伝:本名施徳普、ペンネームに施青萍、安華などがある。浙江省杭州の人。幼年時代は蘇州に住み、後に上海の松江に転居。 中学時代から創作を始め、『覚悟』『礼拝六』などに投稿。戴望舒、杜衡、張天翼らと文学団体蘭社を組織した。 1922年杭州の之江大学に入学、翌年、上海に行き上海大学に入って新文学の影響をうける。1926年、震旦大学フランス語特別クラスに転ずる。革命活動にも参加し、同級の戴望舒、劉吶鴎らと『瓔珞』旬刊を創刊、ここに出世作「上元灯」(原題は「春灯」であった)を発表した。 1929年以後は、水沫書店で『無軌列車』『新文藝』の編集をし、1932年から1935年にかけては、著名な『現代』月刊の編集長をつとめた。その間に、作品集『上元灯』を出版しているが、その作品は大部分がノスタルジックな抒情によって、若い男女の初恋の詩情や小市民の生活を描くものであった。 「鳩摩羅什」を書いて後は、フロイドの精神分析を用いた心理小説の創作を意図し、穆時英らの新感覚派小説と合流していった。主な作品に「将軍底頭」「石秀」「梅雨之夕」「春陽」などがある。 1936年に『小珍集』を出版するが、ここに収めた「鴎」「名片」などはモダニズムからリアリズムへと回帰する傾向を見せた。 また上海雑誌公司の要請で阿英とともに『中国文学珍本叢書』70余種を編集した。 抗日戦が始まると、彼は雲南大学、厦門大学などで教鞭をとった。1947年には上海に戻り、曁南大学、光華大学の教壇に立った。散文のほかに、主にヨーロッパ弱小民族の文学を翻訳しているが、訳書ははなはだ多い。 1952年以来、ずっと華東師範大学の教授をつとめ、中国古典文学、文物の考古学的研究及び外国文学の翻訳紹介に力を注いできた。 (呉福輝『中国現代作家大辞典』新世界出版社、1992) |
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ポートレート |
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作品集・単行本 |
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研究書・研究資料(中文) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
翻訳・参考書(日文)『砂の上の足跡』施蟄存/著 青野繁治/編訳 大阪外国語大学学術研究双書 1999.2 |
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作成:青野繁治 |