朱蘇進

Zhū Sūjìn
朱蘇進
しゅ・そしん

(1953-  )

朱蘇進自伝:

 わたしは1953年7月南京に生まれました。5才に一家で福建に移り、就学しました小学5年生まで進んでから、病気のため学校を辞めました。「文化大革命」中、燃やさなくてはならない書物をたくさん読み、文学に没頭していきました。父親は医者でその影響を受け、人類をさいなむ、一切の苦痛を深く憎むようになりました。1969年10月軍に入り、学生軍医を志望したがなることができず、砲手に配属され、その後会計員、偵察部長,指揮隊長,副政治指導員等の職を任されました。1973年独自に文学製作を始め,1976年に福州軍区政治部創作室に配置替えになり,専門に文学創作に従事することになりました。1979年に中国作家協会福建分会に加入し,1982年に中国作家協会に加入し,1985年に同会理事と,江蘇省分会常任理事に選ばれました。1985年に南京軍区政治部文芸創作室に移りました。

わたしの文学観

 文学は社会の中に入って行かなければならない。それも深く入っていかなければならない。文学は震えさせ,提示し,なすところがなければならない。わたしの言う「文学が社会に出る《ということと,「文学が社会において何かをなす」ということは以下のことよりも重いのである。
 現代社会と現代人から、一種独特の比較的重大な発見を獲得し、こうすることを一生創作の主な道筋とする。それに、何かを解釈しようとしたり、何かを答えようとしたりしない。芸術家は戦闘精神をなえさせてはいけない。
 現代人の心の奥に秘められたものを探す努力をすること。全ての社会の出来事は、個人の心に深刻にわきあがる物を通している。
 中国文化の伝統は基本的に大きく二つに分かれる。一つは道徳に関することで、一つは知恵に関することである。しかし生活していると、情と理は往々にして対立する。「情」に合えば「理」に合わず、「理」に合えば「情」にあわないように、わたしたちの道徳は絶えず知恵を圧迫している。文学は人類の知恵の美をあます所なくみせ、感情の力で読者を思索の深淵へと引きこまなければいけない。涙は最も良い効果を生み出すが、ため息には及ばない。作家は情に流されるだけでなく知恵者でなければいけない。
 次第に独特の芸術小世界を作らなければならない。現代の軍人と軍事技術がわたしの主な研究課題である。

(『中国当代作家百人傳』求実出版社1989)

作品目録

『征罰』長編小説 1978年人民文学社出版
『在一個夏令営里』長編小説 1980年人民文学社出版
『射天狼』中編小説 1982年『昆侖』創刊号
『引而上発』中編小説 1983年『昆侖』第1号
『凝眸』中編小説 1984年『昆侖』第5号
『戦後就結婚』中編小説 1986年『清明』第1号
『第三只眼』中編小説 1986年『青春叢刊』第2号

 
作成:大杉治美

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