李瑛

Lǐ Yīng
李瑛
り・えい

(1926.12.8-2019.3.28 )

李瑛自伝:


  私は河北省生まれで、1926年12月にある鉄道職員の家庭に生まれた.
少年時代と青年時代は家計はとても苦しかった.中学校の読書の時間に文章を試しに書きはじめ、 作品を発表した.
 1944年曹和さんと共に第一冊目の詩歌合集《石城の青苗》を出版した.
 1945年北京大学の文学院中国文学科に入り、本を読みながら進歩している学生運動に携わり、次 々と新聞や雑誌に、その当時感銘を受けた詩歌や散文、文学評論を多く載せていった。1949年の初 めに大学を卒業し、全大陸が基本的に解放されるまで、中国人民解放軍に参加して記者をし、中原 華南等の前線各戦場を転々としながら新聞取材や戦場の報道をした。その後北京開放軍総部に戻っ て働いた。1950年に朝鮮戦争が勃発し、ただちに朝鮮に入って抗米援朝戦に参加した。その後は開 放軍文芸出版社に転勤し、文芸刊行物の編纂や総編纂、出版社社長などの職務についた。現在は中 国人民開放軍総政治部の文化部部長をしている。
 ここ四十年来、「文化大革命」という惨禍の期間、途中でしばらく書くことを中断された時期を除 いて、ずっと余暇を利用して創作に従事していた。1951年と1952年に上海雑誌出版社と人民文学出 版社は相次いで、私が解放戦争の時期と朝鮮戦の戦場で書いたその当時の戦闘生活を報告している 『野戦詩集』などを出版した。今までに、すでに出版した長短詩集は二十五種に及ぶ。熟知した部 隊生活を除いて、私はさらに祖国の悠久の歴史や文化を大いに謳歌し、祖国の壮麗な山河や広大な 人民群衆が建設した祖国を賛美した詩編、例えば『早晨』などを書いた。1954年、かつてソビエト 連邦、ポーランド、チェコスロバキア、ルーマニア等の国を訪問した。1979には、スイスを訪問し 1982年には中国作家代表団の成員としてアメリカへ行き、中米作家会議に参加した。さらにアメリ カの大小の都市をいくつか参観した。これらの忘れ難いアメリカ訪問を記録するために、世界各国 の人民の和平と友誼を謳歌するために、多くの国際を題材とした、詩編を書き、もうすでに結集出 版した『友誼的花束』などがある。1983年は私が詩歌創作に取掛かってから四十年になり、人民文 学出版者はまた、私が四十年間創作してきた作品の中から選んで編集し『李瑛抒情詩選』を出版し た。
 私の詩集や詩は何度か全国、全軍で表賞されたことがある。

作品集・単行本

『対詩的思考』解放軍文藝出版社 1991.9/4.00元

研究資料

『中国当代文学研究資料 李瑛研究專集』解放軍文藝出版社 1983.7

 
作成:武田ゆみ子

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