李金髪

Lǐ Jīnfà
李金髪
り・きんぱつ

 (1900-1976)

 李金髪小伝:

本名李淑良、金髪はペンネーム。広東梅県の人。香港の聖ジョーンズ中学で学んだ後、上海の南洋中学フランス留学準備クラスに入学。1919年にフランス留学、タイロン美術専門学校およびパリ帝国美術学校で学び、フランスの象徴派詩歌とくにボードレールの『悪の華』の影響のもとに、変わった格調の詩作を始め、『微雨』を出版。周作人の評価を得て、中国最初の象徴主義詩人となる。1925年初め、上海の美術専門学校校長劉海粟の招きにより帰国して教壇に立つ。同年、文学研究会に加入して『小説月報』『新女性』などに原稿を書く。1928年杭州国立芸術院彫塑系主任。『美育』雑誌を創刊。広州に行き、広州美術学院に就職、1936年同学院の校長となる。40年代後期から外交官として外国滞在が多く、後にアメリカのニューヨークに移住。

(『中国現代作家大辞典』新世界出版社 1992年)

著書

『微雨』北新書局 1925.11 上海書店影印 1986.1
『李金髪回憶録』陳厚誠/編 東方出版中心 20世紀文学備忘録叢書 1998.6

 作成:青野繁治

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