杜埃

Dù Āi
杜埃
と・あい

(1914~1993)

杜埃小伝:

 本名曹傳美、学名曹芥茹、筆名杜洛、TA。広東大埔湖寮莒村田背角の人。村の小学校で学び、後に小学校教員となる。友人と『晨曦』を共同編集。『民国日報』文藝副刊に最初の短篇小説「私娼」を発表。1933年に中山大学社会科学系に入学。広州左聯や社聯の組織に参加、抗日救亡運動に身を投じた。翌年、『火花』『天王星』『新路線』などの原稿集めや発行の仕事に従事した。「客庁主義文学」を発表した時、はじめて杜埃の筆名を用いた。1935年末、突進社の準備工作に参加、䔥殷、楼棲、頼少其らの進歩的青年と広州藝術工作者協会を設立し、文藝工作者を団結させ、抗日救亡運動に参加するよう仕向けた。1936年中国共産党に加入。
 抗日戦争勃発後は、八路軍駐香港弁事処で代理宣伝部長に就任。『大衆日報』文藝副刊を編集。1940年、フィリピンに渡り、抗日の宣伝工作に従事。1947年、香港に戻る。その後『華商報』副総編集に就任する。
 杜挨の雑文は、旧社会の醜悪と腐敗を攻撃し、その筆法は辛辣である。
 解放後は中国共産党広東省委員会文教部、宣伝部部長をつとめ、少なからず文学理論的文章を執筆した。さらに南国情緒にあふれる散文も書いた。
 近年は長編小説『風雨太平洋』を創作、フィリピン人民と華僑が日本の侵略者と共同した闘う姿を描いている。
 中国作家協会広東分会副主席、省文聯第一副主席などの職にあった。

(劉亞鉄『中国現代作家大辞典』新世界出版社 1992)

著書

『在呂宋平原』人間書屋 1949.2
『不朽的城』散文集廣東人民出版社 1979.1

作成:青野繁治

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