林徽因

Lín Huīyīn
林徽因
りん・きいん

 (1903-1955)

林徽因小伝

 女流詩人、小説家、建築家。本名、林徽音。福建閩侯の人。1919年父に従って英国へ行く。1921年帰国。1923年より米国へ留学。ペンシルべニア大学で建築学を学び、その後エール大学戯劇学院で舞台美術を学ぶ。1928年帰国。文芸雑誌『緑』の創刊に参加。1930年以後、東北大学、燕京大学などで教鞭を執る。30年代は詩歌の創作に従事した。新月派のメンバーの一人である。詩作品「笑」「深夜聞こえる音楽」「ある夏の夜、山で」「なくしてはならぬ」などは、緻密に描かれ、韻律を重んじ、音楽性に富んでいる。短編小説「九十九度中」は、真夏の酷暑のなかでの、北平の上流社会と下層の労働人民の全く異なった生活を描き、その対比が鮮明で、手法として新しい。その他に、小説「模影零篇」は人物のデッサンが綿密である。建国後は清華大学建築系の教授を勤めた。

(『中国現代文学詞典』上海辞書出版社1990.12)

徐志摩との恋愛については、王少元「徐志摩與他愛過的三位女性」(『老照片』第二輯1997.3)に詳しい。

 写真
ローマにて 1916
北京培華女子中学の制服を着て 従姉妹たちと (右端が林徽因)
16歳
1920年父親林長民とロンドンにて この頃徐志摩と恋愛中
参考書

『記憶中的林徽因』楊永生/編 陝西師範大学出版社 2004.5

 作成:青野繁治

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