梁暁声

Liáng Xiǎoshēng
梁暁声
りょう・ぎょうせい

(1949-  )

梁暁声自伝:

1949年9月22日、私はハルピン市に生れた。祖籍は山東省栄城県である。父は十二歳のとき人のあとについて「関東」に討ち入り、我が一家の歴史上で最初の世代の都会人となった。
母はお話をするのが上手だった。私の文学に対する関心は、お話を聞くことから始まった。母は私の文学上の最初の先生であった。
1968年、私は千百万もの都会の知識青年たちと北大荒へ行った。そこで7年間生活し、農作業労働者や小学校教員、トラクターの運転手、報道員などをした。そういった体験は私の記憶に深く刻まれて残っている。それは私の大自然を熱愛し、人民を熱愛し、大地を熱愛する気持ちを育んだ。
1974年、私は上海の復旦大学中文系に入学した。当時の復旦は、政治の嵐がキャンパスを覆っていた。その3年間は息が詰まる思いだった。比較的多く文学作品に接することができたのを除けば、復旦は私に真の知識を教えてはくれなかった。しかしそれは私個人の生活における一つの転換点となった。
1977年、私は復旦を卒業してから、北京電影制片廠に配属された。そこで幸いにも私は一般の人々とくらべて、多くの外国映画を見ることができた。それは後の私の文学創作に影響を与えている。つまり私が作品を書くにさいして、必然的に視覚的イメージや印象を追求するように仕向けるのである。それは私の作品の風格の相当部分を形づくっている。
これまで私は北影で8年間働いてきた。中国作家協会、中国電影家協会、中国電影文学学会の会員となり、また理事にもなった。現在の身分は北影のプロデューサーである。  1979年9月に処女作を発表していらい、200万字余りを創作した。が深くかかわればかかわるほど、進歩するのは難しい。結局今まで発表したものは、すべて習作でしかないと思いつつ、文学が社会や人民に対してもっている使命とは一体何なのか、文学自体の美学的価値はけっきょくどういう要素から成り立つのか、どの要素が主たる要素なのか、認識価値と美学的価値は結局どのように統一されるのか、対立するのかそれとも統一しなければならないのか、一人の作家の文学的追求はどうあらねばならないのか、といった問題をまじめに考えつづけている。

(『中国当代作家百人傳』求実出版社 1989年)

我が創作の三原則

平和主義、人道精神、平民思想、この3つが私が自分の創作に課した三原則である。また私の人間としての今後の思想原則でもある。
作家たちは「サロン」を必要とし、この特殊な方式で交流をしようとする。だが私は絶対に「サロン文学」の道は歩まない。言い換えると、私の作品は絶対に作家の輪のなかの一つの輪のために書くのではないということだ。私が書くのは、「輪の中の輪」よりもっと多くの幅広い人々と心を通じ合いたいからである。
私は19世紀の文学は人類の文学史上ひかり輝く一頁であると考える。しかも19世紀のリアリズムと浪慢主義の作品は私に比較的深い影響を与えている。
人類の文化芸術的発展は、人類の科学技術の発展とは歩調を共にするとは限らず、正比例をなすとも限らないと、ますます思うようになった。逆にまったく相反することがあり、科学技術の発展は、人類の生活から文化芸術とその「酵母」の役割を果たす「美」を排除してしまっているのだ。それでも、新しい世代の若者に人気があるのは、必然的に新しい文化と文学芸術である。中国の文学はまさにそのような段階にある。それは人間の意志によって移り変わるのではない。中国当代作家はそのような文学段階の情況に適応していくことができるだけだ。しかもこのような新旧交代の過程のなかから当代中国文学の特徴を見つけ出さねばならないのである。
私は西洋現代文学の諸流派に大きな関心を抱いている。しかし決して崇拝することはない。私は西洋現代文学が人類の文学芸術発展の歴史の最高峰であるとは考えたこともない。私は西洋現代文学の各方面の業績が、実は西洋19世紀文学の輝ける1頁を越えていないのだと考える。
シュールレアリスム、ブラックユーモア、不条理派、意識の流れ、その他いろいろは、人類的文学現象であるばかりでなく、人類的心理現象でもある。そして我々がそれらが人類的心理的歴程や心理現象であることを認めて初めて、それらの発生と発見に対して科学的な解釈をすることが可能となる。
一般に、中国の作家たちは西洋の文学に対して、ずっと虚心に研究し、探求し、学習する態度を持ち続けてきた。西洋の作家たちをずっと尊重してきた。それと比べると、西洋の国家は中国文学、とくに中国当代文学に対する理解、認識、研究において、幼稚で、浅薄で、無知であった。
私は我が民族の文学を軽蔑したりしてこなかった。文学芸術やその他の芸術において、「西洋の月は中国の月より丸い」などと認めたことはない。
中国の当代文学は、いま新たな発展の時期におかれている。そこには疑いなく明るい前途がある。しかしその前途は中国の一世代あるいは数世代の作家の努力によって勝ち取られねばならないのである。中国文学が目下欠いているのは、時代に対する批判の武器である。……

(『中国当代作家百人傳』求実出版社1989年)

作品集・単行本

『這是一片神奇的土地』短篇小説集 百花文藝出版社 1985.1/2.15元
『従復旦到北影』紀実文学 上海文藝出版社 1987.7/1.05元
『一個紅衛兵的自白』長篇小説 四川文藝出版社 1988.3/3.00元
『秋之殯』中短篇小説集 華藝出版社 1991.10/4.90元

   
『浮城』長篇小説 花城出版社 1992.10/8.00元
『中国社会各階層分析』長編小説? 経済日報出版社 1997.12/25.00元
『梁晓声话题』 散文集 九洲图书出版社 1998.6/28.00元
『司馬敦』中国文学出版社 1998.10/5.00元
   
邦訳単行本

『ある紅衛兵の告白 上・下』朱建栄・山崎一子共訳 情報センター出版局 1991.1.10,21
『秋の葬送』渋谷誉一郎訳 新潮社 1997.3.25

 
邦訳作品

「高所長の物差し棒」(煤精尺)『九番目の売店』人民中国雑誌社
「不可思議な土地 北大荒」(這是一片神奇的土地)杉本達夫/訳 『季刊中国現代小説2』1987.7
「父」(父親)杉本達夫/訳 『季刊中国現代小説13』1990.4
「母」(母親)杉本達夫/訳 『季刊中国現代小説21』1992.4

 
作成:青野繁治

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