楊朔

Yáng Shuò
楊朔
よう・さく

(1913.4.28~1968.8.3)

楊朔小伝

 本名楊毓瑨、字は瑩叔。原籍は山東蓬莱、16歳のとき生活のためにハルピンへ。最初ハルピン市の『国際協報』に旧体詩詞やパール・バックの『大地』の抄訳などを発表。

 1937年初め、上海で投資を募り、北雁書店を創設。抗日戦勃発後は延安に行く。その後広州に到る。

1938年に最初の中篇小説『パミール高原の流脈』を創作し、広州『救亡日報』に連載する。1939年、作家戦地訪問団に参加、華北抗日根拠地に到り、陸続と短篇小説、散文、通信文を執筆。

 1942年、延安に戻り、中央党校に学んだ後、中国共産党に加入。抗日戦勝利の後、日本軍との闘争を描いた中篇小説を創作。解放戦争時期は野戦軍に転入し、新華社の特派員記者を務めた。

1950年代、朝鮮戦争の戦場から戻ると、『三千里江山』を完成させた。これは抗米援朝戦争を描いた最初の長篇小説で、作者の文学創作における新しい成果のメルクマールとなった。これと同時に、通信文やルポルタージュも書き、朝鮮民主主義人民共和国から二等国旗勲章を授与された。

 1955年、作家協会において外国文学委員会の仕事の責任者となり、何度もアジア・アフリカ作家会議に出席した。1958年以降は、中国保衛世界和平委員会副秘書長、アジア・アフリカ団結委員会副主席などの職を歴任。

 楊朔の散文は中国における当代散文創作において比較的大きな影響力をもち、独特の風格で、すがすがしく知恵に富み詩のような境地ももっている。「茘枝蜜」「茶花賦」「櫻花雨」「雪浪花」などはいずれも人口に膾炙した名篇である。そのほか長篇小説『洗兵馬』の上巻も完成させている。

 文革中に、迫害されて亡くなった。

劉亞鉄『中国現代作家大辞典』新世界出版社 1992

著作・単行本

『月黒夜』生活・讀書・新知三聯書店 1949.12初版

作成:青野繁治

Chinese Literature Site

error: Content is protected !!