汪馥泉

WāngFùquán
汪馥泉
おう・ふくせん

 (1894-1959)

 汪馥泉小伝:

 ペンネーム唯明。浙江の人。若いときに日本に留学、帰国後、上海大学、中国公学、復旦大学などの教授をつとめる。1927年南洋に行き、翌年帰国、陳望道、施存統らと大江書輔を創設、進歩的な文芸書を出版する。1930年上海中華藝術大学校校長となる。『新学生』雑誌の主編をつとめ、後に『現代』の編集業務を引き継ぐ。抗日戦争開始後、日本人の起した「興亜建国運動」に参加し、『政治月刊』の編集をしたため、戦後漢奸ともされているが、1945年、『大公』週刊の編集に従事、新中国成立後は、浙江省公安庁参事、東北人民大学中文系教授兼図書館長を歴任。1957年、右派とされ、1959年、長春にて病死。

 
 関連リンク

百度百科 汪馥泉 

作成:青野繁治 

Chinese Literature Site

error: Content is protected !!