沈西蒙

Shěn Xīméng
沈西蒙
しん・せいもう

(1919~2006)

沈西蒙小伝

 1919年、上海の郵便配達屋の家庭に生まれる。5人兄弟姉妹、父と親の安い賃金に頼って生活。沈西蒙は私塾で2年学んだ後、小学校に転入、卒業後上海敬業中学に入学したが、父親が退職したため、中学を中退せざるを得ず、上海南市区の公共交通汽車公司で練習生となった。長兄の沈孟先は初期の共産党員で、三度労働者の蜂起に参加し、西蒙に大きな影響を与えた。西蒙は幼少から文学を好み、郭沫若、茅盾、巴金、蕭軍、蕭紅の作品を読み、ロシア文学の古典やロシア革命後の作品なども読んだが、最も好きだったのは、音楽、演劇、映画である。三十年代には上海の左翼演劇が盛んで、曹禺の『雷雨』や『日出』、田漢の劇作、イプセンの『人形の家』などに共感した。
 抗日戦争が始まると、救亡文芸団体「揚帆社」に参加、ゴーリキーの『母』の配役を演じた。「八・一三」の後、バス会社が営業を停止し、失業したため、全力を救亡宣伝活動に注いだ。
 1938年春、上海が孤島となり、応戦の必要上、「揚帆社」は「上海職業界救亡会戦地服務団」と改名した。西蒙は団について、温州へ行き、日本軍の暴行を暴露する『子供を返せ』『鞭を下ろせ』などの芝居を街頭で上演し、人民の抗戦の闘志を鼓舞した。抗日の宣伝のため、宋超と共同で『いい男は兵隊になる』という一幕劇の台本を初めて書き、「いい男は兵隊にならない」という間違った考えを批判した。『浙瓯日報』副刊『展望』が八日間にわたって、これを連載した。演劇創作に従事する発端となる出来事である。
 温州で半年、宣伝活動をやって団は1938年の秋にようやく温州を離れた。大多数のものは、皖南の新四軍軍部に向かったが、沈西蒙ら3人は、延安に向かうが、日本軍に道路を遮断され、南昌に留められた。転々として皖南の雲岭で戦地服務団の戦友たちと再会し、参軍して、軍教導隊総倶楽部幹事を割り当てられる。歌、ダンス、演技、台本など何でもやった。1939年から40年にかけて、周恩来副主席が皖南の視察にきて、総倶楽部の上演する抗日劇『馬百計』を見て大いに褒めたたえた。
 皖南事変後、沈西蒙は塩城の新四軍魯迅芸術学院に配属され、演劇系の幹事となった。その後、新四軍一師服務団で戯劇部主任に就任。1943年服務団は文工隊に改組され、沈西蒙は文工隊副隊長として1944年末までつとめる。この間、『生産大合唱』『独立大隊』『流寇隊長』や曹禺の『雷雨』『日出』『蛻変』、ソ連の  の『前線』などを上演し、組織、指導、演出に従事、さらに劇作も行なっている。1942年には丁玲の「一顆未出膛的槍弾」ほ一幕物の『紅小鬼』に脚色し、統一戦線の方針を宣伝した。
 1943年、大型話劇『重慶交響楽』を創作、三つの関連性のない一幕劇からなる三部作で全体として時代の特徴を表した。蘇中の新四軍が蘇北の花子街で日本軍に勝利を収めると、二幕劇『花子街戦闘』を創作し、軍民に歓迎を受けた。1944年末、蘇中軍区の文芸科副科長に就任、塩城の戦いのあと『塩城之戦』を創作し、軍民の英雄的戦いをたたえた。この間、台本だけでなく、「新四軍万歳」などの歌詞も書いた。
 1946年、中国人民解放軍華中軍区文工団団長に就任。その後、第三野戦軍文工団総団副団長に転任。1949年には華東軍区第三野戦軍宣伝部文藝科科長に、さらに後には南京に設置された華東軍区解放軍藝術劇院の院長に就任した。1950年、大型話劇『戦線』の執筆を開始、1951年に完成し、華東軍区解放軍藝術劇院によって、南京大学華影劇場で上演される。この作品は後に沈黙君、顧宝璋によって映画化された。沈西蒙は二人の台本に手を加え、『南征北戦』のタイトルをつけた。
 1954年、朝鮮と志願軍を慰問した体験をもとに、五幕七場の『楊根思』を創作、1956年度の戯劇コンクールで脚本二等賞、監督二等賞、演出一等賞を得た。
 1956年南京軍区文化部副部長就任。後に部長となる。1961年上海に行き、『霓虹灯下的哨兵』の創作を開始。1962年に同作品を書き上げ、上海、南京で上演。1963年周恩来総理の招きで、北京で上演、毛沢東、周恩来から高い評価を受ける。
 1963年、『解放軍文藝』および『劇本』に『霓虹灯下的哨兵』が掲載され、1964年には映画化された。
 1966年3月に北京で全軍文藝創作会議に参加して、南京に戻ったが、「文藝黒線」の代表人物にされてしまう。文化大革命中は、「走資派」「文藝黒線の南京軍区における代理人」「修正主義分子」「三反分子」「叛徒」などのレッテルを貼られ、迫害、打撃を被った。鄧小平が国政を担うようになって、ようやく正式に解放され、南京軍区文化部部長の職に復帰した。
 「四人組」粉砕後は、南京を離れ、中国人民解放軍総政治部文化部副部長兼総政文工団団長に就任。その後自身の請求により、上海警備区副政治委員に就任。『霓虹灯下的哨兵』を創作した生活基地に舞い戻った。

(『沈西蒙研究專集』解放軍文藝出版社 1986.12)

著書
 
研究資料

『中国当代文学研究資料 沈西蒙專集』解放軍文藝出版社 1986.12

作成:青野繁治

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