![]() |
Shā Tīng
|
(1904-1992) |
沙汀小伝沙汀の本名は楊朝煕 四川省立第一師範学校卒業後、楊子青に改名。沙汀という名は彼が1932年に出版した短編小説集≪法律外的航線≫後に≪航線≫に改名)のなかで使われたペンネームである。彼はまたすでに発表していた短編≪電報・自由談≫ 短編小説集≪孕≫のなかで伊光というペンネームを使っていた。 沙汀は1904年12月19日に四川省安県の没落した地主家庭に生まれる。安県は、山に囲まれた開けていない土地である。彼の父は前清の役人廩生で、彼が5歳のときに、50畝の田畑と家を一つだけ残し、この世を去る。このころから、沙汀の家族は没落の一途 をたどるのである。 沙汀は7,8歳のとき、母親が借金をして老先生が開いた私塾で学ぶ。後に叔父が(かれもまた没落地主階級出身である) 辛亥革命時の四川同志会議中に、当時の反清的哥老会組織に参加し、徐々に地位を築いていった。このために、この苦しい家庭状況が改善されていくのである。 沙汀が12歳の時、叔父と代表封建軍閥勢力の官庁との間に対立が生じ、武装することになる。この時、沙汀は叔父を助け、外地へ知らせを届けたり、小型武器を運んだり、常に県城、小都市や村の間を出入りしていた。このため、四川農村の反動的基本政権や地主豪紳に対する民間秘密結社及びその他の各種社会勢力の形状をだんだんと熟知するようになる。 沙汀は少年時代を一定の場所で過ごしていないが、同郷の各種広範囲の社会階層と接する生活は20代後半の青年時代までずっと続いた。この段階の生活は彼の後々の創作における基盤となった。 沙汀は1922年に成都に行き、四川省立第一師範学校に入る。学業中、“ 五四”新思潮に触れ始め、大革命開始後には、いつも≪中国青年≫、≪向導≫等の雑誌や上海大学の講義を閲読し、郭沫若翻訳の河上肇の≪社会組織と社会革命≫、惲代英翻訳の≪共産主義ABC≫等社会科学著作を研究するようになる。省立師範学校在学中、彼はまた学友艾蕪との関わりにより、新文芸に興味を持ち始め、魯迅や郭沫若の大部分の訳書を読んでいる。 師範学校を卒業後、彼は、魯迅先生の講義を受けるために北京大学を受験するため、北京へ向かう。しかし、試験の期間が既に過ぎており、また魯迅先生も南方に行っていたので、彼は北伐軍攻が武漢を攻めているときに、四川へ帰る事になる。 (『中国当代名作家小伝』 代芸術出版社 1990.6)
現代小説家。本名を楊朝煕、楊子青という。かつては尹光のペンネームを使っていた。四川省安県出身。 (『中国現代文学辞典』 華岳文芸出版社 1988.12) |
作品 単行本『沙汀短篇小説集』人民文學出版社,1953 |
![]() |
参考書・研究資料『沙汀研究專集』浙江文藝出版社 1983.9 |
![]() |
| 作成 :島田 知美 |


