Shā Yèxīn
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(1939- ) |
沙葉新自伝 私は1939年7月13日に南京のある小商人の家で生まれた。 自分の主張の通りに書く文学は中国の古代人が言うように、「経国の大業《でも「上朽の盛事《でもなく、我々が 外国の導師の言葉を誤って翻訳したような「歯車とねじ釘」でもない。古代人も西洋人も文 学の価値を高く見積もりすぎており、文学の作用を過大に評価している。私は今の人々の文 学に対する主張をあまり重視してもいない。一つには騙されるのが嫌だからで、もう一つに は、他人の主張がどんなに立派であっても、自分の創作に取って代わることができないから である。私は書くのなら、自分の主張に従って書きたい。自分の主張に従って書くというの が、私の重要な創作の主張なのである。 文学は嘘をついてはいけない。真実を語らねばならない。真であって初めて善であること ができ、美となりうる。文学がもし嘘、虚偽、欺瞞、ペテンをやったら、きっとその醜悪さ のために読者から唾棄されるであろう。文学が真実を語るには、まず作家が誠実な人間でな ければならない。作家は生活をありのままに反映しなければならない。真摯に作品中に自分 の心を表白し、読者に対して真剣に対峙しなければならない。要するに作家は、その生活、 著作、情感のどれもが本物でなければならないのである。 文学は勇敢でなければならない。思い切って光明を謳歌しなければならないし、思い切っ て時代の弊害を突かなければならない。この三十年来、中国は政治上の民主が上健全であっ たため、文学も然るべき批判的機能を失ってきた。ここ数年多くの作品が論議を引き起こし ているのも、作品の批判的機能が、ある一部の人々に受け入れられないからであった。この 状況は今のところ好転しはじめている。和やかで穏やかな雰囲気になり始めた。文学の声は 微弱ではあるが、あらん限りの声量で勇敢に自分の声で叫んでいる。賛美の声であろうと、 憤怒の声であろうと。実は憤怒も一種の愛の激情であり、愛情の表現の形態が違っているだ けなのだ。 私の経験は、余り経験を重んじないということだ。他人の経験を重んじないし、自分の経 験も重んじない。経験を重んずると、それは文学が守らなければならない模範となるであろ う。経験に束縛されなければ、他人を模倣することも避けられるし、自分が重複することも さけられる。そのようにすれば、自分は文壇上に新旋風を巻き起こした刷新者になることも できよう。文学芸術には刷新が必要であり、刷新がなければ、いかなる貢献も価値もないこ とになる。 (『当代中国作家百人傳』求実出版社1989) |
作品目録『假如我是真的』(劇本)《上海戯劇》、《戯劇芸術》聯合増刊1979年9月 『陳毅市長』(劇本)《劇本》1980年5月 『馬克思秘史』(劇本)《十月》1983年3期 『中国姑娘』(電視劇本)《百家洲》1984年5-6,1985年1-2連載 『宋慶齢』(電影劇本)《十月》1984年4期 『沙葉新劇作選』1986年江西人民出版社 |
作成:青野繁治 |