烏熱爾図小伝
1952年、大興安嶺(中国黒竜江省北部から内モンゴル北東部にのびる山脈)に居住するエヴェンキ族に生まれる。エヴェンキ族が森林に住んでいたことから、「森林の子」という意味を含む「烏熱爾図」を自ら名前としてつけた。
文化大革命が起こったため、学習の機会を失い、初級中学(日本の中学校に相当する)を卒業した後、1968年、エヴェンキ族に戻って狩猟生活を営む。その後、労働者、人民警察、職員と、転々と職を変えていく。
1976年より創作活動を始め、三年連続して全国優秀短編小説賞を授賞する。
1985年、中国作家協会の理事に推薦され、書記部の書記となった。
私が実感するもの
もし、文学の先達が既に目の前に高い石碑を立てたなら、あなたはそれを景仰すると同時に、間違いなく、いろいろと思案をめぐらせてそれを避け、歴史と現実という時空の中で、自分の道を探すだろう。もし、二万人にも満たない森林の狩猟民族に生まれたなら、見知らぬ文学の密林に直面することは、まさに新しい道をまっしぐらに突進しようとしているようなものだ。このように、あなたは、自分が実感する文学の使命がいったい何を含んでいるのか、ということをまじめによく調べなければならない。
あなたの民族の人口は少ないが、粘り強く千年来生命の過程を通りすぎ、しっかりした文化と生命の鎖を一代一代伝えていたが、あなたの手に手渡すと突然脆くて弱いものに変わり、突然、生活に変化が訪れ、感情の記憶は断絶され、実感は同化しようとし、苦しみと喜びは言い難いものに変わり、獲得と喪失は同じ割合を占める。あなたは二つの世界、一つは古めかしく飾り気がなくかつ脆くて弱い、一つは彩りが豊かで美しくいろいろ変わる世界に身をおく。あなたの選択は苦しみを含んでいる。
を含んでいる。
あなたは、その森林の中に一度閉鎖した社会群体の生存状態を描くことは、とても大きな価値を含んでいて、それはすべて、まるで薄暗い月明かりの下の湖面のようだが、依然として人に久しい想像を与えるはずだ、と思う。心理の真実をもっていくつかの独特な個体を描写することも、人々に狭い視野を広げさせるだろう、と思う。その特色を持つ民族の心理と感情は、あなたの目の中で非常に珍重なものに変わる。それは激しく揺れ動く川の流れが過去と未来をつなぐのと似ているからである。その上、同じ社会群体の生存相均衡という思考状態は、まったくあなた個人のものではないので、あなたは一生懸命それを追求していると、ある民族の誇りがすでにその中に存在している、と思う。
あなたの目の前は起伏する連峰であり、頭上は人類共有の青空があり、あなたとすべてのひとの生活はこのような背景のもとにあり、あなたは常に自分の声、思索を持ち、答えは青空と広々とした野原の呼びかけから来る。
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