熊佛西

Xióng Fóxī
熊佛西
ゆう・ぶつせい

(1900-1965)
熊佛西小伝

中国の劇作家。江西省豊城(ほうじょう)県出身。1920年燕京大学に入学し翌年民衆戯劇社に加入、大学の青年たちの生活の様子を描いた4つの劇を制作した。1924年ニューヨークのコロンビア大学に留学し戯曲を研究、1926年修士課程を終え帰国し、国立芸術専門学校、燕京大学、北京大学等で演劇教育にあたった。

満州事変が起きると一時河北省に移っていたが、1939年には四川省立戯劇教育実験学校の校長を務めた。その後1941年に「省劇校」の廃止が決定したが、戯劇への熱意は冷めやらず、1944年桂林で田漢や欧陽予倩らとともに西南第一届戯劇展覧会を組織して戯劇運動の進歩に大きな役割を果たした。

中華人民共和国成立後は上海戯劇学院長等を務め、その後も様々な役職を歴任した。晩年は上海を拠点とし政界にも進出していったが、1965年10月26日病死。1985年12月2日には上海戯劇学院キャンパスに彼の像が建てられた。

主な著書に日中関係を象徴するような日本人妻との家庭的矛盾が最後には妥協に至る『一片愛国心』(1926)や、『酔了』(1928)ほか多くの劇作があり、商工業の社会主義的改造を扱った『上海灘的春天』(1956)は上海人民芸術劇院によって上演が重ねられた。生涯で27の多幕劇(2幕以上の戯曲)、16の独幕劇(一幕劇)、7つの戯曲集を出版、3つの戯劇理論書を執筆した。戯劇教育について、彼は一貫して「教育民主」と「学術自由」を主張し、「戯劇を学ぶには教室に拘束されていてはならず、舞台を通して実践的に学ぶ必要がある。」と述べている。

 
 (作成:鍛治諒)

 

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