Niú Hàn
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(1923- ) |
牛漢自伝: 私の本名は史成漢である。谷風というペンネームを用いたこともある。遠い祖先はモンゴル族である。1923年10月、山西定襄県の貧しい農民の家庭に生れた。14歳までは、ずっと農村にいて、羊を放牧したり、薪を拾ったり、秧歌をうたったり、拳法の稽古をしたり、レスリングをしたり、粘土細工をしたり、笙を吹いたり、集団で喧嘩をしたりと、村では一番の腕白小僧だった。体中傷だらけで、それは一生消えることが無い。2年間小学校に通ったが、自分の名前もろくに書けず、いつも「漢」という字を間違えた。父は芸術家肌で自由民主思想をもった中学校の教員だった。大革命時期に北京大学の聴講にも行ったことがあり、旧体詩を上手に書いた。少なからず蔵書もあり、魯迅や周作人の本をはじめ、『新青年』『語絲』『新月』『沈鐘』などの雑誌は全部揃っていた。私は10歳頃からこれらのわかるようなわからないような雑誌や本を夢中になって読み始めた。母は私に唐詩の朗誦を教えた。母は真っ直ぐで強い性格であったが、私は彼女の感性を幾分か受け継いでいる。 (『中国当代作家百人傳』求実出版社 1989) |
創作談——魂から沸き上がるもの3-40年来、私は一種の情境と意象が融合して形作られた詩を好み且つ追求してきた。このような詩は、現実や歴史、自然、理想などに対する感受が、長い時期の沈殿と凝集、一瞬の昇華と爆発を経て、具象性と可触性を備えもっている。詩は生活の再現ではなく、人間が一生のうちで、もがいたり一歩ごとに血の滴るような心からの探求を経て思考し、生活のなかには存在しなかった情境を不断に発見し想像していくものなのだ。詩は声と色彩と炎を伴った激情であり、憎悪と悲痛のための忘却、身を投げ打って魂を追求するための欲求なのである。詩は現代のために書かれるとは限らないが、現代的感覚を持たねばならない。詩全体に染みとおる現代的感覚がなければ、過去をふりかえることも未来を夢想することも虚妄になってしまう。生活と運命のまえでは、誠実で勇敢な反抗者でなければならず、人生のイバラを避けてはならない。人のイメージは終始直立して未来を迎える開拓者である。低温での表層的凝結を求めず、生活と一定の距離をたもつ激情の無い冷ややかな創作を排斥する。外在的修飾を嫌い、詩的芸術の一度限りの自然形成を追求しようと努力し、文字表現の技巧に頼って詩を書かない。詩を一首書くたびに、初めて詩を書いたように感じ、その詩と過去の詩とは何の関係もないと感じる。つまり初めて詩を書くことを学んだころの敬虔さと神秘的な感覚を抱き続けること。人生と詩歌の領域で、絶えず抗争し、探索し、超越し、発見すること。新しい情境の発見がなければ、一行も詩を書かないこと。いったん発見して(それが魂の中から立ち上ってきたとき)熱狂的興奮状態に入る。その発見の瞬間が同時に詩の生命の誕生のときなのである。このような発見の激情と詩の律動は一致する。このように開拓者の勝利の激情がなければ、本当の意味での詩はないのである。そういった概念にもとづいて、私は詩の定型をもっとも憎む。私の作品に決ったあるいは安定した風格(他の人々とは異なるものであっても)があるというように人が言うのは聞きたくない。私は一編の詩はそれ自身が風格をもっているということしか認めない。評論家は私の数十年に及ぶ詩作のなかに何か目に見える軌跡を見出すことができよう。しかし私の一生の創作は、自分ではやたらと駆け巡るばかりで、向こう岸のある河の流れとは違う。私は創作においては、一生成熟せず、老練にならず、行き着くところに行き着かないようでありたい。生命は永遠にため息の出るような新しい傷を帯びている。私は絶えず自分を突破し、闘いながら前進しなければならないからだ。もし聡明に生活と一定の距離をたもち、自分の芸術的領土のなかを徘徊するばかりなら、それはもちろん安逸であろうが、その詩は必ず硬直したものとなる。たとえその表面が丸く潤いがあって優雅であったとしても。 (『中国当代作家百人傳』求実出版社1989 |
作品集・単行本『白色花』(牛漢の詩8首を収める)人民文学出版社 1981 |
邦訳『現代中国の詩人――牛漢詩集』 秋吉久紀夫/訳編 土曜美術社 1998.3.10/本体3000円+税 |
作成:青野繁治 |