Qíjūn
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(1917.7.24-2006.6.7) |
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略歴本名は潘希珍または潘希真。浙江省永嘉県瞿溪鄉(現在の浙江省温州市甌海区)に生まれる。 作品はエッセイを中心に、小説・評論・翻訳・児童文学など幅広く、英語・日本語・韓国語などに翻訳されているものもある。 |
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年譜
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作品批評チージュンは小説・エッセイ・評論・翻訳・児童文学と数多くの作品を残してきたが、その中で特に中心的であったのはエッセイである。彼女のエッセイは、彼女の幼少時代の出来事が多く、また家族について描かれることが比較的多い。チージュンのエッセイの特徴は、ありふれたものの中に見出すささやかな美しさを描く点だ。題材とする物は、日常の人物や出来事、物事である。それらが彼女ならではの視点で表現されることで、彩りが与えられる。文体は飾りすぎず、雲や水が流れるように自然であり、意図せずとも一種の美しさを生み出している。また、懐かしさと新鮮さを自由に行き来するような感覚は、彼女の作品が持つ独特の雰囲気である。彼女の作品は、古く懐かしい文学の形を根底に持ちながら、五四新文学以降の新しい精神を持ち合わせている。台湾の戦後の女性エッセイの発展において、大きな影響を及ぼした人物の一人である。 尚、彼女についての研究は、現在のところ中国大陸よりも台湾における方が進められている。 チージュンの代表作の一つであるエッセイ集『桂花雨』(1976年 爾雅出版社 )の中の『桂花雨』という話を取り上げる。 中秋節のあたりは、モクセイの季節である。モクセイというと、私はすぐにその匂いがまるで本当に嗅いでいるかのように思い出される。私がかつて人の家の囲いのそばを通ったときに嗅いだその匂いは、すぐさま私を懐かしい気持ちにさせる。 *中略 私の故郷は海に近いところにあり、八月はちょうど台風の季節である。母親は之故に「風水忌」と呼んだ。モクセイが咲くとすぐ、母は心配した、「どうか風水をしないでくれ」(つまり台風の意味である)。母が心配したのは一番に稲穂の収穫、二番はモクセイの収穫である。モクセイは蒸し菓子や餅菓子を作る材料になる。モクセイは最も満開になったとき、十軒以上先のお隣さんの家にまでもその豊かな香りに浸されるのである。モクセイが熟れ頃になると、それはまさに「揺する」時なのである。揺すると落ちてくるモクセイの、整った新鮮な花びらが地面に落ちる。台風が来て雨風に吹かれてしまうと、花びらは湿り、よい香りは全くしなくなってしまう。 「モクセイを揺する」ことは私にとって大事なことなのである。だからいつも母をじっと見つめ、「お母さん、なぜまだモクセイを揺すらないの?」と聞いたものだ。「まだだよ、咲き足りてないからね、揺すっても落ちてこないわよ」と母は答える。しかしある日、母は空を見つめ、雲足が長く陰ってくるのに気づくと、もうすぐ「風水をする」のだと察知した。すぐさま私を呼び、「モクセイを揺すりなさい」と言った。これに私は大喜び。モクセイの木の足下でしっかり踏ん張り、幹に抱きつき、力一杯木を揺すった。モクセイはわさわさと、私の頭からだに覆い被さるように落ちてきた。私は「わあ!本当に雨みたい。なんていい匂いのする雨!」と叫ぶ。母親は両手で落ちてきた木犀の花をすくい取りガラスのお盆の中に入れ、仏様のお堂に持って行った。父親は線香を焚いていて、その煙たい匂いと木犀の香りが混ざり合い、お堂はまるで神仙の世界のようだった。父がぽろりと詩を詠み始めた。「繊細な香りの風、淡い煙。モクセイを収穫し、今年も豊作を祝う。子供は花を揺することの喜びを心得ているようで、花雨の中で甘い夢に浸っている。」詩は高名だとはいえないが、私の心の中で、父は確かに文才溢れる人物で、素敵な詩を詠み上げたのだ。 |
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作品リスト
合集 エッセイ 論述 翻訳 |
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参照サイト |
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リンク・甌海三溪中學琦君文學館 |
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作成:石津早穂 |