矯健自伝:
祖籍は山東省乳山県だが、私は1954年に上海で生まれた。
1969年に初級中学を卒業すると、原籍地に戻って生産隊に入り、農作業に従事した。
1973年最初の短篇小説「小白楊」を発表した。1975年煙台地区話劇団所属の劇作家として配属。 1979年煙台師範専科学校中文系に試験をパスして入学。
1981年卒業、郊外区の中学校の教師として配属。1982年煙台地区創作組に転属。 現在煙台市文聯副主席兼『膠東文学』主編。
人民の心の声を伝える
現実の生活は複雑多彩で、どうやったらその根本をしっかり把握し、芸術的に表現できるかというのは、 実に難しい問題である。思うに、リアリズムの深化というスローガンはもう一度提起してよいのではないか。 どのように深化するのか?わたしのよく知った友人たちは皆頭を使っている。「ルーツ探し」、 小説観念の革新、新しい方法論の導入といったそれぞれの道は一つの目標に向かっている。 すなわち、よりリアルに生活の本質を反映するということに。ここまでくると、私は我々の同時代人たちが、 勇敢に現実に立ち向かっていることを喜ばざるをえない。
「雕虫小技、壮夫は為さず」(つまらない技は立派な人間がすることではない)という言葉がある。どうやらそれは剣さばきに凝りすぎて、まとまりのない状態に陥ってしまったかの感がある。「凝り」すぎると読者には理解できないし、同業者でも理解に窮する。現実離れしている、とは言わないが、隔靴掻痒の嫌いがある。
現代意識は昨今の創作の必須事項である。しかしこういった意識を表現するだけで、寓意的な物語を創り出したり、物語の構成を顧みないとすれば、よくない結果に終わる。私は最近メリメの『』を再読して感嘆したものである。この作家は考えが古く、人間も一面的にしか描いていないが、過ぎ去った時代が目の前に再現され、コルシカの人々の声や顔がありありと描かれている。私はここで永劫ということを考えた。いかなる先進的な哲学にも時代による限界がある。しかし生活の内容は芸術化すれば残されるのだ。愚見では、現代意識を作品に擦り込み、背景のごとく果てしなく、重々しい生活が見えるだけで、作為のあとが見えないようにできて、ようやく上出来と言える。西洋人の書くとおりに引きうつして、中国の現実を無視するならば、足下が危うくなるであろう。
猫も犬も花も草も書くことが出来る。しかし私が自分の作品に求めるのは、血も肉も描くということである。苦しめられている人々のために、うめき声をたて、雷鳴をとどろかすのだ。時代の前進のために、大いに喜んで笑ってやるのだ。小説は、人民の最も痛いところ、痒いところに触れて、人民の心の声を伝えてこそ、真に人民性をそなえもつことができる。真に人民性をそなえた作品のみが、深く現実を反映することが出来るのである。
文学が現実を反映するという問題は、今や総合的な問題となった。ずっと考え続けてきたが、今でもわからない。どうやら、まだまだたくさん書いて、書きながら模索しなければならないようだ。そうすればいつか某かの道が見えてくるに違いない。
(『中国当代作家百人傳』求実出版社1989)
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