秦牧小伝
本名林覚夫、1919年生まれ、広東澄海の人。帰国華僑で、幼少年期はシンガポールで過ごした。帰国後、故郷の澄海、汕頭、香港などで就学。抗日戦争時期には、韶関、桂林、重慶などで働き、教師や編集者をつとめた。抗日救亡運動と大後方の民主運動に参加したことがある。抗日戦後、香港で三年間、職業的作家生活を送る。広州解放前夜、東江解放区に入る1946年に『秦牧雑文』を開明書店から出版し、当時の社会現象を批評し、また一部歴史小品も書いている。
新中国成立後、ずっと広州で働き、中国作家協会広東分会副主席、『羊城晩報』副編集長、博羅県革命委員会副主任などの職についた。広東省人民代表大会代表に続けて選任される。1956年6月華南人民出版社から、前の世代の華僑労働者の生活を題材に描いた中篇小説『黄金海岸』(つまり『遠洋帰客』)を出版した。19世紀から現代にいたる物語で、中国近代史の姿を側面から反映し、資本主義社会の原始的資本の蓄積と剰余価値的搾取の秘密を暴き出している。1962年、上海新文芸出版社から散文スタイルの文芸論集『藝海拾貝』を出版し、文学領域に進もうと志す読者が文学創作を学べるように書いたものであり、よもやま話や漫談、随筆の方式で、さまざまな文学的表現手法を述べたもので、新しい題材、豊富な知識、優美な形式は、読者に広く歓迎された。
1977年、秦牧は『花城』『潮汐和船』の大部分の文章を、「四人組」打倒後の新作と合わせて、散文自選集『長河浪花集』として、人民文学出版社から出版した。ほかに小品文集『貝殻集』(作家出版社1958)、児童文学作品『回国』(中国少年児童出版社 1956)、『在化装晩会上』(広東人民出版社 1957)、童話集『蜜蜂和地球』(長江文藝出版社 1957)などがある。児童文学作品と新 は『巨手』にまとめられ、人民文学出版社から出版された。「四人組」打倒後の新作散文は『長街灯語』(天津百花文藝出版社)にまとめられている。
秦牧は1981年現在、広東文聯副主席、中国作家協会広東分会副主席、『作品』誌副主編、曁南大学中国文学系主任などの職にある。
(『秦牧專集』福建人民出版社 1981.6)
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