Niè Gànnǔ
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(1903.1.28~1986.3.26) |
聶紺弩小伝湖北京山の人。県立高等小学卒業後、貧困のため進学できず。五四運動後、福建のある軍隊で記録係をする。1923年、吉隆坡で数か月小学校教員をつとめる。更に仰光で『覺民日報』、『緬甸晨報』の編集者及び記者を務める。 1924年黄埔軍校第二期生に合格、国共合作における第一次東征に参加。途中海豊に留まり、半年間農民運動講習所の教官を務める。1925年、モスクワ中山大学に入学、2年学んで帰国後は、南京国民党中央通訊社副主任を務める。9.18満洲事変後、文藝青年反日會に参加。離職を迫られ、上海へ、左翼作家聯盟に参加。上海『中華日報』副刊『動向』の編集を担当。 1934年、中国共産党に加入。1937年から、漢口、桂林、重慶などで新聞・雑誌の編集を担当、少なからず文章を発表した。1948年香港に撤退。同年『小説』月刊第6期に、中篇の力作「天壌」を発表。この間、筆鋒するどい雑文を多く執筆、『華商報』副刊や秦似の編集す『野草』に発表し、新中国誕生を呼び掛けた。 解放後は、中南区文教委員会委員、香港『文滙報』総主筆、人民文学出版社副編集長兼古典部主任をつとめる。1958年誤って右派と認定され、北大荒に労働改造に送られる。「文化大革命」中にも、「現行反革命」として、無期徒刑に処され、山西に10年間収監され、1976年にようやく「寛大なる釈放」となった。1979年に名誉回復されている。 まっすぐな性格で、明るくユーモアのセンスがあり、その文章は人柄のごとく、雑文は笑いと怒りにあふれ、問題の急所をつき、魯迅の筆鋒を身につけている。晩年には『紅楼夢』など古典の研究も多数ある。 李亦飛『中国現代作家大辞典』1992 |
著書『天亮了』人間書屋 1949.2初版 |
作成:青野繁治 |