葉永烈

Yè Yǒngliè
葉永烈
よう・えいれつ

(1940-  )

葉永烈自伝:

 1940年8月30日,浙江省生まれ。父親は病院の院長,銀行の頭取をつとめ,母親は主婦で,他に兄,姉,弟,妹が一人ずついる。文学創作に強い興味を抱いたのは,11歳の小学校5年生のとき。詩を書いて新聞社に投稿したところ,それが浙南日報に掲載された。その時から投稿し続けた。1957年北京大学化学学部に入学。専門は自然科学ではあったが,文学作品は書き続けた。1960年上海少年児童出版社から,1冊の本を出版した。

 1963年北京大学化学学部を卒業した。私の卒業論文はスペクトル分析の研究に関するもので,中国化学学会で発表された。卒業後,上海のある研究所に配属になり化学研究の仕事にたずさわるが,自ら転業を申請する。そして,1963年末,本当に転業し上海科学教育映画製作所で,演出にあたった。私が演出した映画は20数本に及ぶ。≪紅緑灯下≫は中国第3回映画百花賞を獲得した。
 1980年映画の仕事をやめ,文章を書くことに専念する。私の作品の特徴は,科学と文学を結び付けるところにある。自然科学を学び,小さい頃から文学好きだったことから,多くの科学幻想小説を書いている。その中でも,1978年に出版された≪小霊通漫遊未来≫は,150万部印刷され,当時の中国のベストセラーになった。

 1979年には,世界科学幻想小説協会の,はじめての中国人会員となった。1982年からは,連続3回この協会の会員大会から理事に選ばれた。当協会は30余りの国々からの,400名余りの会員がおり,理事が7名いる。私はアメリカ,イギリス,ドイツ,日本,スウェーデンなどでも中国科学幻想小説に関する文章を数多く発表しており,私のかいた科学幻想小説も数ヶ国の外国語に翻訳されている。1984年,私とドイツ連邦大学のDr.Charlotte Dunsing主編の≪中国科学幻想小説選≫のドイツ語版が,ドイツGoldmann出版社より出版された。これは中国科学幻想小説としては,はじめて国外で出版された選集である。ドイツの中国研究家たちが,この本の翻訳に尽力した。

 私は多くの純文学小説や,散文,童話,報告文学などもかいている。これまでに,彼は90数種類の本を出版しており,発表した文章も2000近くにのぼる。ここ数年は,方向転換し,文学創作に力を入れており,科学幻想小説はあまり書いていない。

文学と科学の結合

  私は文学と科学は相結合すると主張している。中国では,文学と科学の境界線がはっきりしている。

 人は私のことを<両生類>と笑うが,私はすでに中国第3期文代会,第4期中国作家協会代表大会の代表,また,中国科学技術協会の最年少の全国委員でもある。著書は人民文学出版社,科学出版社出版されている。≪収穫≫のような純文学雑誌には純文学小説を載せ,≪中国化学学会分析化学学術会議論文集≫には,化学論文≪純酸素中の混合物のスペクトル分析≫を発表したが,私の作品の多くは,文学と化学を結合したもので「科学文芸作品」とよばれる。

 私は科学幻想小説や科学小品,科学童話,科学散文,科学詩,科学相声,科学寓話,科学教育映画脚本,科学幻想映画脚本などを書き,科学者を主人公とした報告文学も書いた。これらはみな「科学文芸作品」に属する。

 国外では,「科学文芸」を一つの独立した文学形式としてみなすかどうかについて,論争があるようだ。 「科学文芸」の創作理論を述べるために,20万字の≪論科学文芸≫を書いた。この本は日本の学者の関心をひき,日本で紹介文章が発表され,本中のある章の抄訳もなされた。

 年を重ねるにつれ考えも次第に深くなり,社会や人の命運をさらに注視するようになって,私の筆はだんだん純文学の方に向き,報告文学や小説を書いている。しかし,依然として科学文芸作品も書き続けている。

 
作品目録

『找不到的火伴』(科学童話集)1976年安徽人民出版社出版
『小霊通漫遊未来』(科幻小説)1978年少年児童出版社出版
『水晶宮的秘密』(科学童話集)1978年河南人民出版社出版
『丢了鼻子以後』(科幻小説集)1976年安徽人民出版社出版
『葉永烈作品選』       1979年四川人民出版社出版
『張春橋浮沉史』時代文藝出版社 1988.8

邦訳

『中国科学幻想小説事始』池上正治/訳 イザラ書房 1990.3.31/定価2060円(本体価格2000円)

作成:越智芙美子

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