許寿裳

Xǔ Shòucháng
許寿裳
きょ・じゅしょう

(1883.2.4~1948.2.18)

許寿裳略歴

 字は季茀、号は上遂。浙江紹興の人。1902年日本に留学。1909年東京高等師範卒業、同年帰国、浙江兩級師範学堂教務長となる。その後、蔡元培の招請を受け、南京臨時政府教育部参事となり、譯学館教授を兼任。ほどなく北京に移転し、北京大学、北京高等師範学校教授、ならびに北京女師大校長の任に当たる。魯迅とともに学生運動に参加したため、1926年反動当局によって、北京追放の通告を受ける。
 1934年北京に戻り、北平大学女師文理学院院長の任に当たり、抗日戦争勃発後は学校に附いて西遷、西南聯合大学教授、系主任などを勤める。
 1946年台湾に渡り、編譯館館長、台湾大学国文系主任の任に当たる。国民党の反動統治に極めて不満であったため、1948年特務によって殺害された。
 魯迅と同郷で、1902年に日本に留学して以来、魯迅と終生の友となった。その後の20数年において魯迅とは交流が緊密であった。その多くの著述は魯迅の生涯を回想し、研究することを主としたものである。

(孫金鑑『中国現代作家大辞典』新世界出版社 1992)

著書・作品集

『許寿裳文集』上・下 百家出版社 2003.5

作成:青野繁治

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