達理

Dálǐ
達理
たつり

達理自伝

 達理とは我々夫婦が共同で作品を書き、発表した際に使用した作家名・ペンネームである。

 夫は馬大京。蒙古族の山東栄成の出身である。1947年4月に江蘇省、南京市に生まれ、1949年の全国解放以後、家族と共に北京へ移り、言語学者でもある両親にその方面において幼い頃から厳しい訓練を受ける。

 中学の頃より文芸を愛し、学校誌の『円明園文芸』に詩歌、散文、小説などを選んで掲載したり、また学校の演芸団の主宰をも経験した。

 1965年には北京大学中文科に入り文学を専攻。そして“文化大革命”中に林虎の「四人組」の言論と文章に対し批判的な批評を発表し、そのことで厳しい政治的迫害を受けることになった。

 1973年に卒業し、遼寧省の大連に配属され、遼寧師範大学の大学報の編集にあたる図書館員となり、1980年には大連市文聯任専業作家に入る。

現在は中国作家協会会員、遼寧作協分会の理事、そして大連市文聯創作室の主任である。

 妻、陳愉慶は漢族で、浙江省奉化人。1947年8月、上海の有名建築家の家にうまれる。1949年全国解放以後両親について北京へ移り、幼い頃から様々な文芸活動に参加する。1958年中央人民広播少児部に入りアナウンサーや司会を経験し、同時に北京市少年宮話劇団の演出をも行った。

 1965年北京大学中文科に入り文学を専攻し、校内の文工団の創作と演出に参加した。1970年に遼寧省の清源県に配属され中学校の教員となった。1974年、転勤で大連市に移り、すぐに市と所属の企業の文化教育の仕事にたずさわる。文芸月刊誌『海燕』で小説の編集をもすることとなった。

1980年市文聯任専業作家に入り、現在は中国作家協会理事、作協遼寧分会の副主席、大連市文聯副主席である。

 馬大京と陳愉慶の二人は“文化大革命”の辛い時代を二人で乗り越えることによって心をかよわせるようになった。

 1978年、二人は合作により創作活動を始めた。しかし当時馬大京の政治的迫害はつづいており、未だ吊誉の回復を得ていなかったので、実名で作品の公表はできなかった。そのため、二人は娘の名前をペンネームとして使い、以後そうしてきたのである。

1+1=2ではない

 文学の需要は広大なものである。なぜなら文学とは作家の心の変遷の記録である。人の心よりも広大な ものがあるだろうか。いや、ない。海は陸より広く、空はその海より広く、銀河は太陽系より大きく、 宇宙は太陽系より広大なのだ。宇宙は最も大きく科学は宇宙を無限だとしている。 しかし、「宇宙の外はどうなっているのだろう」という人々の想像をとめる事はできない。 これはひょっとするとでたらめかも知れない。しかしこのでたらめを誰がそうと証明することが できるだろうか 孫悟空は一飛びで十八万里という。確かにこれは荒唐無稽な話である。しかし芸術の形象をとどめ 却って普遍的な承認を得たのである。強権と暴力で人々の手足を縛る事はできる。また、口をふさぐことも 可能である。が、しかし自由に飛びまわる心を縛る事はできない。

だから文学の中には絶対的な権威も無ければ、統一も無いし、「右へならえ」も「前へ進め」も無いの である。それ故文学は多種多様であり、天に登って月を取ってしまったり、海でスッポンを捕まえたり、 刀を抜いて水を切ったり、空に大きな穴を開けたとしても許されるのである。文学は寛容である。例えばその他の領域において、話が二つある事は決してないが文学には当然ありうる。 それどころか、二つにとどまらないで三つあったり、四つだったりするのだ。医者の話では笑うという事は 泣くということに比べて良いそうだ。しかし文学においては、大悲劇で涙を流す事が人々に楽しみや快感 を与え、更には涙と共に憂さも抜けて健康に良いのである。第三者に口を出されたり、大勢の人達に後指を さされた方が文学の場合は却ってその奥行きが深まるのだ。 ここに、1+1=2ではなく、2×2が5になる所以である。

 何か読んでいたり、創作しているうちに自ずと偏愛が生じてくる。しかしこの愛は決して一つではない。 今日と昨日が同じでないように、この文章と他の文章は違うのである。ジャージャン麺は旨いが いつもそれを食べるわけにはいかないように。

 私達は小説だけでなく戯曲や映画の脚本も書いている。それぞれに差異はあるけれども 参考にできるものである。これによって書く小説の形象が深くなり、脚本にも奥行きがでるのである。私達は文学をこよなく愛しているが、世界上で最も神聖なものだとは考えていない。 文学はただ社会にある様々な分野の一つであって、たまたま私達はそこに居ているだけである。 私達は作家という身分でなく、一人の普通の人間として、そしてその気持ちで創作を行うのである。 この他に私達は生活のあらゆることに大きな興味を抱いている。もし私達にこのような文章を書かせたなら 当然に喜んでそれをするし、もしある日突然書けなくなったとしても何か他の事を楽しんでやるであろう。

(『中国当代作家百人傳』求実出版社1989)

 
 
 
 
作成:添田智子

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