陳映真小伝:
本名陳永善。筆名許南村。
1937年11月、台湾竹南に生まれる。1944年父に従い、台北鶯歌鎮に転居。小学校6年生のとき、「阿Q正傳」などを収めた中国現代短編小説集を読み、「中国の貧困、愚昧、立ち遅れ」を知る。また「このような苦難の母国中国を心から愛さなければならない。中国の若者たちが一人一人立ち上がって、中国の自由と新生のために自分を捧げるとき、中国が無限の希望と光明の未来に満ちあふれるのだ」と知った。後の彼の回想によれば、「これらの小説こそ、そのとき私の魂にまざまざと中国の民族的アイデンティティを植え付け、私の生涯の運命に影響を与えた」のであった。
1957年淡江文理学院外文系に入学。翌年養父が死去、家勢が傾いた。日本語版のチェーホフ、ドストエフスキー、トルストイ作品を大量に読み始める。1959年に尉天聡編『筆匯』雑誌の創刊に参加したのが、文学活動の始まりであった。9月には小説の処女作「面攤」をこの雑誌に発表している。その後次々と同誌に「我的弟弟康雄」「家」「郷村教師」「苹果樹」「故郷」などを発表した。この時期の作品は基本的にはロマン主義的気質に富んだモダニズム文芸である。家勢が傾いた暗い記憶からくる挫折感、敗北感、屈辱感によって、チェーホフ式の憂鬱でセンチメンタルで苦悩に満ちた彼の初期作品よおける「蒼白惨緑」の色調が形成された。
1961年大学を卒業し、中学校教師となる。その後、印刷会社、外資系企業、外国の製薬会社などに務めたこともある。1961年から65年までの間は、主に白先勇らの創刊した『現代文学』に多く投稿した。これは主題意識の展開において突破口となった。「文書」「将軍族」「一緑色的候鳥」および前の時期の「那麼衰老的眼涙」と次の時期の「第一件差事」は、文学の面から、大陸から流れてきた人々と本地人との関係を研究する上で抜きにしては語れない経典的作品であり、この作家の文学的名声を築きあげる基礎となった作品である。
このうち「将軍族」は、大陸からやってきた中年のベテラン士官と台湾で生まれ育った少女という、同病相憐れむ卑俗な人物の身の上に、英雄的な輝きを発掘し、「深く感動させる佳作」と評価された。
1966年尉天聡らと共同で『文学季刊』を創刊し、「最後的夏日」「唐倩喜劇」「六月裏的玫瑰花」などを次々に発表するが、風格に変化が見られる。「過去の感傷的で、力なく、自己憐憫的な情緒に、嘲笑諷刺とリアリズムが取って代わり、感情的な反発に理知的な凝視が取って代わり、扇情的、ロマン主義的の発散に、冷静なリアリズムの分析がとって代わった」という。そのうち「六月裏的玫瑰花」は、丁樹南、馬各編の1967年『短編小説選』に収録された。
1968年「転覆と反乱を企てた」という罪名で台湾当局に逮捕され、土城、屏東、火焼島などに拘禁された。1975年釈放され故郷にもどる。1976年許南村のペンネームで書いた評論が『知識人的偏執』として結実、出版された。1977年、1978年の郷土文学論争において、名指し批判を受ける状況の下、「文学来自社会、反映社会」「建立民族主義的風格」などを発表し、郷土文学を擁護、次のような明確なリアリズム文学を主張した。一、文学の全面的西洋化の風潮に反対し、民族的風格をそなえた文学の建設を主張する。二、文学は民衆の苦しみに関心をもち、民族の独立と自由のために闘わなければならない。三、文学は社会の歴史的進歩を推進する作用を果たし、歴史によってつきつけられた問題に答えなければならない。
1978年3月、「夜行貨車」を『台湾文藝』革新第5期に発表。この小説は、台湾工商社会の多国籍企業を背景に、帝国主義の民族主義に対する蹂躙を批判し、外国のボスの前に卑屈にへつらう林永平、および最後に外国のボスと決裂する詹奕宏という二人の対照的人物を描き出し、これに性的に奔放な女性劉小玲を間に割り込ませて、小説全体の画面に総合的な効果を獲得している。小説のイメージは鮮明であり、言葉の卓越した運用能力、強烈な対比と象徴性、深層心理からの追跡が歪んだ精神世界を浮き上がらせる手法は、「独特の風格を確立した成功作」と見なされている。小説はこの年の呉濁流文学賞を受賞し、彭瑞金編の『1978年台湾小説選』と李昂編の1978年版『短編小説選』に収録された。
その後も陸続と「華盛頓大楼(厦)」シリーズの初編「上班族的一日」、第二編「雲」、その姉妹編の「万商帝君」などを続々と発表している。これらの作品は、資本主義社会下の人間性の腐敗、労資抗争の啓蒙的経験を描き出し、資本主義の本質と実体に対して、反省的な考察を行うものであったため、「経済面での構造的思考」を小説に持ち込んだ重要な意義をそなえていると見なされている。
1988年『陳映真作品集』全15巻が出版されたが、ここには彼のそれまでの全著作が基本的に収録されている。
(『台港澳曁海外華文作家辞典』人民文学出版社1992.5)
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