陳翔鶴

Chén Xiánghè
陳翔鶴
ちん・しょうかく

(1901.3.19~1969.4.22)

陳翔鶴小伝

 四川重慶の人。1920年、上海復旦大学外語系に学ぶ。1923年、馮至、林如稷らと上海で浅草社を結成、創作と編集の活動を開始する。同年、北京大学に転学、特別生(研究生)となり、英国文学及び中国文学を専攻する。1925年には、浅草社のメンバーと楊晦とで、北京において沈鐘社を結成する。初期の短篇小説「西風吹到了枕辺」や数本の劇作は、ロマン主義とモダニズムの手法で、五四以降の青年の苦悶を表現している。1927年以降は山東、吉林などで教員をつとめた。抗日戦争開始後は四川に戻り、中国文芸界抗敵協会成都分会で常務理事を務める。

 建国後は四川省文聯副主席、中国作家協会古典文学部副部長、『文学遺産』誌主編などの職に就き、歴史小説「陶淵明写挽歌」「廣陵散」を発表、影響力があったが、文革中に「影射」(当てこすり)の罪により迫害を受け他界。

(呉福輝『中国現代作家大辞典』新世界出版社 1992)

著書

『不安定的霊魂』(短篇小説集)北新書局 1927
『在阪道上』(短篇小説集)北新書局 1927
『独身者』(短篇小説集) 中華書局 1936
『喜筵』(短篇小説集) 作家出版社 1956
『陳翔鶴選集』四川人民出版社 1980

陳翔鶴夫妻
作成:青野繁治

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