高行健

Gāo Xíngjiàn
高行健
こう・こうけん

 (1940-   )

高行健自伝:

 私は1940年生まれ。江蘇泰州の人間、漢族である。1962年に北京外国語学院フランス語系を卒業した。1958年、大学二年のとき創作を始め、映画、話劇、歌劇台本、長編・短篇小説、詩歌、論文など合わせて、書いたものは100万字を下らないが、いずれも発表や上演に到らなかった。1966年「文化大革命」のなかでそれらの手稿はすべて焼き捨てた。1969年北京から下放して「五七」幹部学校で労働に従事した。その後こんどは皖南の山岳地帯に籍を移し、農村の中学校で農民の子供に字を教えた。1974年北京に戻り、翻訳の仕事を継続した。1977年中国作家協会で働くことになる。1979年通訳として巴金に付いてフランスを訪問。同年、初めて「巴金在巴黎」と題する文章を発表。
1980年『花城』誌に小説デビュー作「寒夜的星辰」を発表。1981年、北京人民芸術劇院のプロデューサーとなり、専業創作に従事しはじめる。
1981年、『現代小説技巧初探』を出版、小説観念と技法の革新を主張して議論を巻き起こした。1982年『文藝報』はこの本に対して、「現代派かそれともリアリズムか」という討論をおこなった。
1982年、私の『絶対信号』が北京人民芸術劇院によって上演された。この作品は、人物の現実生活における状態と回想や想像といった心理活動とを折り重ね、戯曲の表演手段からヒントを得て、強烈な劇場効果と極めて大きな真実感を獲得したことにより、大ヒットとなって、全国の十を越える劇団が次々に上演し、中国の実験演劇を切り開いた。
1983年、私の『車站』は北京人民芸術劇院による上演が始まってほどなく、「精神汚染を清める」キャンペーンの中で上演停止となり、批判を受けた。その後、著名な演劇家が文章を著してサポートしてくれたが、論争は今に到るも、終始意見が対立している。
1984年、私は長江流域で、自然の生態系や民間文化を実地に調査し、多声部現代史劇『野人』を書いた。1985年北京人民芸術劇院は、この劇を上演するに際し、歌舞、パントマイム、仮面、朗誦など多種類の手段を用い、再び論争を巻き起こし、賛否両論に分かれた。
私は画家でもあり、1985年に北京と西ベルリンでそれぞれ抽象的なイメージを描いた水墨画展を開いた。
私は招かれてフランス、イタリア、西ベルリン、イギリス、オーストリア、デンマーク、ドイツ連邦などを訪問し、ヨーロッパの十大学で報告会を行なった。またパリの国家劇院では、私の演劇作品に関する討論会が開かれ、西ベルリンとウィーンではそれぞれ私の演劇とショートショートの朗誦会が開かれた。『車站』は既にハンガリーで翻訳出版され、ルーマニアで上演されたことがある。

(『中国当代作家百人傳』求実出版社1989)

 現在パリ在住、フランス国籍。2000年、華人として初のノーベル文学賞を受賞。

作品集・単行本

『対一種現代戯劇的追求』中国戯劇出版社1988.8
『霊山』長篇小説 聯経出版事業公司 1990.12/新台幣320元
『一個人的聖経』聯経出版事業公司 1999.4/新台幣280元
『没有主義』 聯経出版事業公司 2001.1/新台幣250元

高行健の作品を収めた演劇台本集

『有争議的話劇劇本選集二』 1986.7/3.55元 「車站」「野人」を収録
『多声部的劇場』花山文藝出版社 1988.9/6.30元 「野人」を収録

邦訳
「絶対信号」 瀬戸宏/訳 『中国語361』 1990.1
「瞬間」 宮尾正樹/訳 『紙の上の月』発見と冒険の中国文学7 1991.10
「逃亡」 瀬戸宏/訳 『中国現代戯曲集 第一集』晩生書房 1994.8
『現代中国短編集』藤井省三/編 平凡社 1998.3.15
「バス停」 飯塚容/訳 『中国現代戯曲集 第二集』晩生書房 1995.10
「非常信号」 内山鶉・瀬戸宏/訳 『中国現代戯曲集 第三集』晩生書房 1998.1.10
『ある男の聖書』 飯塚容/訳     集英社 2001.11.10/2600円+税
     
関連書

『作家たちの愚かしくも愛すべき中国 なぜ彼らは世界に発信するのか?』
  高行健・余華・閻連科/著 飯塚容/訳

関連リンク
 作成:青野繁治

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