鮑昌

baochang

BàoChāng
鮑昌
ほう・しょう

 (1930-1989)
鮑昌自伝:

私は鮑昌、男性、漢族。1930年1月21日瀋陽に生まれる。2歳の時両親に伴い北平(北京)に転居。父は東北軍張学良指揮下の将校であったが、病気のため退役して後は、都市の貧民となった。私は北平の宏廟小学とミッション系の輔仁中学で学んだが、成績はずっとよかった。高級中学のとき、秘密結社に入って、地下刊行物を謄写版で印刷し、国民党統治者と闘った。1946年1月には、北平を離れ、華北の解放区に行った。
私の青年時代は、中国人民解放軍の中で過ごしたのである。解放区の華北聯合大学に学び、その頃中国共産党に参加した。1949年1月、解放軍とともに天津に入る。それ以後35年間ずっと天津に住み、ここで働いてきた。
私が文学を好きになったのは少年時代である。最も尊敬する作家は魯迅、茅盾、老舎、トルストイ、バルザック、ディケンズである。また中国の古典文学も非常に好きである。1949年4月から詩歌、劇本、評論などを発表し始めたが、それはまだ習作の段階である。1955年、私は中国作家協会に入り、天津市文聯副秘書長となり、文学月刊誌『新港』の編集を担当した。
1957年「右派分子」と誤認され、天津付近の農村に下放、農場労働に従事した。1962年天津文学研究所に配属、美学と文藝理論の研究に従事。「文化大革命」期間には再び幹部学校および工場に労働に出される。1974年、天津師範大学に移り、大学の学報の編集や中国文学の授業を担当した。「右派」問題が1979年に正され、中文系主任に任ぜられ、副教授に昇任。中国文芸界で「マルチ作家」とか「学者型作家」と称えられた。
目下、私の発表した作品は340万字に達しており、14冊の本を出版している。代表作は義和団運動を描いた長編歴史小説『庚子風雲』である。文藝理論方面の著作としては、『一粟集』、『三省集』、『風詩名篇新解』、『魯迅年譜』、『芸術的起源和原始芸術』などがある。また短編小説「笈笈草」が1982年全国優秀短篇小説奨を受賞したほかに、五部の作品がそれぞれ表彰されている。しかし少数の評論を除けば、私の作品は海外で翻訳されていない。
私の小説の題材は幅広く、清朝の貴族から80年代の中国の若者まで描いているが、知識人を描いたものが比較的多く、たまに象徴的、印象的(原文:通感)、意識の流れ的表現手法を用いることもあるが、基本的にはリアリズムの手法で描いている。
私は1985年のはじめに行われた中国作家協会第4次代表大会で、中国作家協会理事に選ばれ、書記処常務書記に推薦された。現在中国作家協会の日常業務を切りまわしている。

(『当代中国作家百人傳』1989求実出版社)

 補足:

1989年2月に死去。(『美人魚的期待』作家出版社1989.3)

作品

『庚子風雲』第一部、第二部 長編小説 百花文藝出版社1980、1984
『神秘果』中短篇小説集 百花文藝出版社 1984
『動人的沈思』中短篇小説集 上海文藝出版社 1985
『二覚集』散文集 百花文芸出版社1985
「盲流」長編小説 『小説界・長篇小説専輯』1985.5
『祝福イ尓,費爾馬』中短篇小説集 花城出版社 1986
『美人魚的期待』鮑昌小小説集 作家出版社1989.3

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 作成:青野繁治

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