Gāo Xiǎoshēng
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(1928- ) |
高曉声自伝:私は1928年7月に生れた。江蘇省武進の人間で、漢族である。農村に生まれ育ち、早くから農作業に従事した。父は知識分子で家には少しばかり蔵書があったので、少年時代には文学作品に接する機会があった。 14歳のとき母を亡くし、家庭の情況は貧困であったので、中学段階で学費が払えないために、何度も学業を中断した。その後大学の経済学系に入って2年間学んだ。1949年から働くようになったが、その後蘇南の新聞専科学校を卒業した。それからは、『探求者』という同人雑誌をやって、1958年から1979年まで右派と誤認されていた時期を除けば、ずっと江蘇省文聯文化局、作家協会江蘇分会などで働いた。専業創作である。農村の出身であったので、反右派以後21年間も農村にとどまる機会を得て、農民の暮らしに詳しくなり、そこで彼等を執筆の対象にした。 私は1950年に作品を発表しはじめ、1956年に華東作家協会に加入、1980年中国作家協会に加入。同年江蘇省作家協会副主席に選ばれる。1985年1月中国作家協会理事に選ばれる。 反右派以前は、私の文学創作は学習段階で、様々な文学形式を用いて創作を行なった。が進捗は遅く、作品は少なく、詩集として『王善人』、大型錫劇『走上新路』(葉至誠との合作)や短篇小説「解約」「不幸」などを出版した。 1979年から主要な小説創作に従事するようになり、1979年から1984年まで毎年小説集を一冊出版した。 1979年以来、文学創作以外に、内外でいろいろな学術交流活動を行なった。廬山の三省青年創作会議、アモイの四省文学創作会議、南京大学、厦門大学、復旦大学、華東師範大学、蘇州大学で学術的な報告を行なった。アメリカのワシントン大学、ニューヨークのロックフェラー東方文化センター、インディアナ大学、カリフォルニア大学、スタンフォード大学で座談会発言と学術交流を行なった。昨年は香港の「中華文化促進センター」で小説創作についての報告をした。 私の小説に対して幅のひろい評論がなされているが、当代作家研究会が『高曉声専集』(江蘇人民出版社)を編集している。 創作談――人の魂に干預する私は文学は人間学であり、全面的に人間を理解し人間を反映しなければならないと考え、文学が人の魂に干預することを主張する。人の魂は歴史的現実的社会生活の制約を受けているが、その制約を突破して前進しないときはない。したがって必然的に、歴史と真実性の角度から人間の生活を反映することを主張するようになり、リアリズムの傾向をもたざるをえなくなる。 (『中国当代作家百人傳』求実出版社1989) |
作品集・単行本『高曉声一九八○年小説集』人民文学出版社 1981.8/0.47元 |
邦訳作品「リー・シュンターの家づくり」(李順大造屋)石黒やすえ/訳 『日中友好新聞1201-1213』1981.4.12-7.12 |
作成:青野繁治 |