百越境界

Bǎiyuè  Jìngjiè
百越境界
百越境界(ひゃくえつ・きょうかい)

 広西の青年文学者らが近年打ち出した文学的主張。彼らは古代の百越民族の歴史文化と審美的心理およびその現代への継承、発展について、またこれらと現代文学観念との融和の可能性等について、思索探求を行い、現在の文学創作の分散化、地域化した新潮流の啓発を受け、「百越境界」の構想を打ち出した。これは現代人の美学観念をもちいて、百越文化の伝統を継承・発展させた結果、文学創作において、独自の道を捜し求めようと企図したものである。

 この構想をもっとも早く提出したのは、梅帥元と楊克であった。彼らの『百越境界――花山文化與我們的創作』(『广西文艺』1985年3期所載)は、文学創作者や評論家の関心を引いた。『广西文学』は続けて一系列の関連する評論と理論的文章を発表し、「花山文学と我々の創作」をテーマとする討論会を開くとともに、百越境界構想を追及、表現した作品を掲載した。例えば楊克の「走向花山」、林白薇の「山之阿水之湄」(組詩)、梅帥元の「黒水河」、孫歩康の「繊魂」、海濤の「在有白鶴的地方」、李遜の「沼澤地裏的蛇」、韋瑋の「岩葬」などである。作者たちは、描写の具体的内容を百越民族の伝統文化という全体背景の中に置き、百越民族の審美的心理を出発点として、各作品の描写のなかに、この相対的背景と心理に近い雰囲気を創造する。

 ある人は、百越境界は内包する特徴において、魔術的リアリズムと融和性をもっていると言う。鍵は目に見える直感世界を描き出すことにあるのではなく、感じることのできる世界を創造しようとするところにある。ゆえに百越境界の発展の道のりは、魔術的リアリズムを主要な創作方法とし、濃厚な民族的色彩、地域的色彩を有する、独特の百越文学の風格ないし流派を探索形成することなのである。

 しかし百越境界が魔術的リアリズムと連携するという観点に反対する人もいる。彼らは、百越境界構想の提起が、何か流派を形成することを目指すものではなく、審美的理想の総合的な趨勢、文学作品によって表現できる総体的芸術の雰囲気を追求するものである。様々な手法を用いてこの目的を達成することができるが、百越境界の探索と追求をどれか一つの流派に帰する必要はない、と考えている。

(『中国现当代文学辞典』辽宁教育出版社1989)

 
作成:青野繁治

Chinese Literature Site

error: Content is protected !!