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Jiǎ píngwá
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(1952- ) |
賈平凹自伝:私は1952年2月21日に生まれた。干支は辰で、五行では水命に当たる。出身の陜西省南部の産地丹鳳県は田舎で風光明媚であるが、極めて貧しいところである。幼いときは家族は20数名を数えた。上には祖母がおり、父の世代が4人、私の世代は兄弟10人、その8番目であった。三年間の自然災害のときは危うく餓死するところだった。小学生のときは村の祠で授業を受けた。中学は15里離れた鎮で過ごした。初級中学、高級中学、大学と進んで外の世界に活路を見出そうと一心に願ったが、「文化大革命」によって、初級中学の途中で学問の道を閉ざされ、故郷に戻って農作業に従事した。 父親は田舎の教師だったが、家には蔵書などはなく、祖母や外祖母から天上や地獄の出てくる神話物語を語り聞かされた経験もない。加えて、この頃父は陥れられて歴史反革命のレッテルを貼られ、公職剥奪されて送り戻されていた。政治的には人に蔑まれ、経済的に維持する手だてもなく、それからはひねくれもので孤独、敏感にして臆病な性格になった。花見をすると花が散り、雲を眺めると雲が散る。いろいろな実体験の中で、書物では学べない多くのことを学んだ。 1972年、偶然のチャンスがめぐってきて、西北大学中文系に入学したのは私の運命の転機であった。私は大学で文学に触れ、作詩に熱中し大量の詩を書いたが、成功はしなかった。それから散文や小説に転向した。卒業後は成績が優秀だったので陜西人民出版社に文学の編集員として配属され、五年後には西安市の『長安』文学雑誌社に編集員として転入した。 1982年から今日まで専業創作に従事している。今は中国作家協会理事、作家協会陜西分会副主席、作家協会西安分会副主席である。 創作歴は長くないが、幾度か波風を経験した。しかし筆を折る気にはならなかった。今に到るも自分で満足の行く作品は書けていない。今は創作実験の時期が長くできるよう望んでいるが、それ以上に実験期間が短縮できて、自分と自分の作品が成熟するような日がくることを待ち望んでいる。 『当代中国作家百人傳』(求実出版社1989) |
作品・単行本『兵娃』中国少年児童出版社 1977年 |
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| 『遠山野情』四川文藝出版社 1987年9月(賈平凹,路遥,陳忠実,京夫,莫申,等) 『妊娠』作家出版社 1988年4月 『抱散集(散文集)』作家出版社 1991年4月 『守頑地』人民文学出版社 1991年11月 『晩唱』百花文藝出版社 1992年 『賈平凹自選集』作家出版社 1 浮躁 1993年9月 2 妊娠・逛山 1992年12月 |
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| 3 黒氏 1992年12月 4 佛関 1993年1月 5 油月亮 1993年1月 6 閑人 1992年9月 『人極』長江文藝出版社 1992年12月 =跨世紀文叢 『逛山』浙江文藝出版社 1993年6月 |
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| 『廃都』北京出版社 1993年6月 『商州― 説不尽的故事(全4卷)』華夏出版社 1995年1月 小説・散文80篇 自伝2則 答問録 『白夜』華夏出版社 1995年7月 『説話』随筆集 陝西人民出版社 1995.12/5.90元 『土門』春風文藝出版社 1996年10月 『下棋』短編小説集 陜西旅游出版社 1998.3/22.00元 |
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| 『喝酒』中短編小説集 陜西旅游出版社 1998.3/22.00元 『製造声音』散文集 作家出版社 1998.9/13.00元 『敲門』散文集 作家出版社 1998.9/11.00元 『高老庄』長篇小説 太白文藝出版社 1998.9/20.00元 『賈平凹文集 全14巻』陝西人民出版社 1998.10/400.00元 『観我』中国文学出版社 1998.10/5.00元 |
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| 『造一座房子住夢』散文集 人民日報出版社 1998.12/13.00元 『長舌男』 作家出版社 2002.10/18.00元 『五十大話』 名家散文自選集 長江文藝出版社 2003.1/24.00元 『賈平凹談人生』上海社会科学院出版社 2004.12 『天気』作家出版社 2012.11 |
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翻訳●『賈平凹・鶏の巣村の人々』井口晃/訳 徳間書店 |
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関連資料『野山――従小説到電影』中国電影出版社1990.2 |
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参考書『賈平凹之謎』孫見喜/著 四川文藝出版社 1991.2/4.80元 |
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贋物あらわる『霓裳』中国戯劇出版社 1994.3/12.00元 |
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| 作成:青野繁治 |










