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Lǐ Wěisēn
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(1903-1931) |
略歴一名求実とも。1903年生まれ、湖北の人。名家の出。「五四運動」に際し、16才の若さで、武漢の学生運動を率い、京漢鉄道の二七の戦争にも参加した。翌年ソ連に留学し、2年後帰国した。 1926年、広州に赴き、䔥楚女らと『少年先鋒』誌を編集、文名をとどろかす。 国民党北伐期は、李偉森が表立って活動した時期である。 1927年、国民党が反動化すると、上海に戻り、白色テロ下の全国総工会復興運動に従事する。 広州に戻って潜伏し、広州暴動に参加するも、翌年春には上海に戻り、『上海報』を創刊。これは中国ボルシェビキ党機関紙『紅色日報』の前身にあたる。その後は全精力を党の新聞工作に注いだ。 1930年春、左翼作家聯盟が成立。彼もすぐに加入したが、工作の関係上、左聯の職務は担当する時間がなかった。しかし労農兵通信の仕事は少なからず助けた。 同年6月、全国ソビエト代表大会上海弁事処が成立、彼は初期に選出され、ソビエト区の軍事、文化、教育、土地問題等に多く尽力した。 1931年1月17日、上海東方旅社において捕縛され、数日後、龍華警備司令部に移送、2月7日に該司令部内の広場に生き埋めにされる。処刑に臨んで表情は平然とし、高らかにスローガンを叫んだ。 李偉森は平素、工作に際し危険を顧みず、読書を好み、文学的天才に恵まれた。工作繁忙中でも、深夜まで筆をとって文章をしたため、朝まで休むことがなかった。著書、訳書も多く、下記は現在調査の及ぶ範囲でのものである。 1.ドストエフスキー評伝 1929年 『前哨』第一巻第一期 1931.4.25 |
| 作成:青野繁治 |
