Liáng Qǐchāo
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(1873.2.23-1929.1.19) |
梁啓超小伝:思想家、 文学者、学者であり、また中国近代資産階級改良主義者である。字には卓如、任甫、 号には任公、飲氷室の主人がある。広東新会人。 光緒のときに科挙に合格し、康有為に学ぶ。 1895年北京会議にて康有為などと共に「公車上書」を開始する。1896年上海で『時務報』を主編、『変法通議』を発表、『西政叢書』を編集し、その翌年、変法維新を吹聴した。当時彼がもっていた政治論文は流暢、流麗で、感情が溢れ出し、大変個性的であった。1898年北京において、北京師範大学で和訳に当たった。戊戌政変により、日本に亡命、そこで『清議報』、『新民双報』、『新小説』を編集し、立憲君主制を主張、維新政治の回復をめざした。彼の革命を敵とする主張は民主革命派の非難の的となり、革命支持派と論戦をおこしたが、彼が紹介したブルジョア社会政治学説は当時の知識層に大きな影響を与えた。辛亥革命後袁世凱を擁護し司法総長を担当した。しかし1916年になると蔡鍔を支持し、護国軍反袁を組織した。その後また研究室を設け、段祺瑞と協力して財政総長も務めた。1919年に五四運動が起こると”打倒孔家店”のスローガンに反対し孔子、孟子の思想は社会主義の”最精要的論拠”(最も優れた、欠かせない論拠)であるとし、むやみに封建文化を用いようとし、マルクス主義の中国伝入に反対、マルクス主義者の批判を受けた。1920年以降、清華大学研究院、南開大学等の教授を兼任した。腎臓の病の手術に際して、医療ミスにより健全な方の腎臓を摘出され、死に至る。 |
著書梁啓超哲学思想論文選 / 梁啓超著 ,葛懋春・蒋俊編選 — 北京大学出版社 , 1984. |
邦訳清末・五四前夜集 / 増田渉編 — 平凡社 , 1963. |
参考書『梁啓超與晩清文学革命』連燕堂/著 漓江出版社 1991.5 |
作成:遠山 博英 |