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Qióng Yáo
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(1938- ) |
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瓊瑶小伝瓊瑶、女作家。本名陳喆。湖南省衡陽人で、1938年4月20日四川省成都に生まれる。 幼年時代烽火戦乱のなかを過ごし、困窮して父母とともに流浪の身となり、戦争を耳にし、戦争を知り、戦争に関わる生活から戦争から遠く離れた生活にいたるまで経験した。父陳致平は生涯にわたって教師の仕事をした。母袁行恕はかつて中学教師をしており詩のことばに精通しており、中国古典文学に造詣が大変深かった。 瓊瑶は幼少より啓蒙教育を受け、しっかりした中国語の基礎を身につけた。9歳の時上海大公報児童版に『可怜的小青』という短文を発表した。1949年家族とともに台湾へ行き、台北師範大学付属小学の6年に入り、のちに 台北第二女子中学で学んだ。16歳の時大人の口ぶりを用いて書いた小説『雲影』を、雑誌「晨光」上で発表した。高校生の段階で次々に小説や散文を約200編ほど、各雑誌や新聞に配分した。その中で小説の一部は、後に出版された『幸運草』、『潮声』などに収められた。18歳の時、一教師と恋に落ち、一年後‘周囲から涌いて来た抵抗にさえぎられ’のちに瓊瑶はこのことを‘手に汗を握る’ような恋愛だと称した。 高校卒業後、二度受験に失敗し、これより、小説創作の道を歩み始めた。22歳のとき、再び恋愛をし、家族の同意を得て1961年に結婚した。しかしこの婚姻は失敗であり、夫は博打に没頭し原稿代によって生活がまかなわれていた。その後夫のひどさに耐えられず、1974年に離婚した。彼女はかつてこう語っている。「私のこの一生は彼をだめにしてしまった。生活、愛情、および結婚の面でいろいろ経験したからこそ、私はより多く書くことができるのである。人には一種の無意識の感情を排泄したいという心理があり、日記を書くことで排泄している人もいるが、わたしは文章を書くことで排泄している。」彼女のはじめての‘手に汗を握る’ような恋愛は、小説『窓外』の前半14章の中に忠実に反映されている。彼女の‘失敗した結婚’は、短編小説『桎梏』と長編小説『在水一方』のなかにかすかな手がかりを見出すことができる。1963年に長編小説『窓外』が平xin涛主宰の皇冠出版社より出版され、再版を重ねいっぺんに有名になった。 1964年の1年で『六個夢』『煙雨濛濛』『幸運草』『幾度夕陽紅』『菟絲花』『潮声』の6冊を出版した。その内、『菟絲花』、『煙雨濛濛』そして『六個夢』の中の2つの短編を改編した『婉君表妹』『唖女情深』はすべて1965年に映画撮影、上映され一大センセーションを巻き起こした。1979年平xin涛と結婚する。瓊瑶が創作に打ち込んだ30年に発表した小説は40数部にも及び、長編小説が主である。好評を博し、影響が比較的大きいものに『窓外』『煙雨濛濛』『幾度夕陽紅』『彩雲飛』『白狐』『心有千千結』『在水一方』『我是一片雲』『月朦朧、鳥朦朧』『雁er在林梢』『彩霞満天』『聚散両依依』『問斜陽』『昨夜之灯』などがある。その中でも『幾度夕陽紅』と『彩霞満天』は彼女自身が特に気に入っている作品である。 作品の多くは愛情を主題とし、濃厚な感情の色彩を帯びている。小説には中国式人生、人情味、伝統的論理道徳が描かれ、現代意識と固有の伝統的考え方、芸術美意識が融合し一体になろうとしている。物語の構成は巧みで、文章のスタイルは繊細かつ上品で、変化に富み誤解が満ち溢れた状況、そしてすっきりとした悲喜、離合の内容の中に、親情、恋愛感情、友情を織り成している。また、優美な詩の言葉をよく用いて主人公のこまやかな感情を訴え、清麗で俗っぽさがなく、みやびやかで人の心を打つという特徴を増している。このことは彼女の作品が少年少女、青年学生に好まれた原因である。彼女の作品は幾度も映画化されている。また彼女自身は火鳥電影公司と巨星公司を相次いで設立し、『月満西楼』『幸運草』『我是一片雲』『奔向彩虹』『月朦朧、鳥朦朧』などを自ら脚色し、監督撮影した。のちに観衆の興味の移り変わりにより『昨夜之灯』をとり終えた後、映画は撮らず、小説を売って人に撮影させることもやめた。 瓊瑶の小説に対して、一部の台湾の作家は批判し、ある者は、瓊瑶の小説の最大の問題は現実から離脱していることで、映し出されている生活面は狭く、登場人物は現実の社会の外に遊離しており、作家は自らを美しいと思い、誇張を増している、作品に詩的傾向があり、確かに美学的価値は在るけれども、同時に逃避主義文学の意味合いを帯びている、と考えている。あるいは、瓊瑶の“どの本の主題もすべて‘本当の愛情’であり、どの本の主人公もすべて‘瓊瑶式’の特定人物であり”、語句と内容も絶えず重複している、よって“もし‘愛情’を取り出したならば、瓊瑶の小説は殻だけになってしまう、と考えている。あるいは“瓊瑶式の青白さ、俗っぽさ、できもしないばかげたこと、中身がなく幼稚”を指して、瓊瑶の小説は“男は二枚目、女は美人、いつまでも青春”“偏った恋愛感情””男女が愛し合う公式の中に社会の圧力、論理道徳そして世論の非難などの障害を加えた”“物語の人物は大差なく、年を繰り返している”の域を外れないとみなしている。 瓊瑶は“文章を書く目的は作者の思想、考え方を表現するところにあるが、読者の中には物語に触れ、作者の文字の中に隠された観念、情感、意識を見落とす人もいる”と考えている。“生活の中の美しい出来事はとても少なく”“よって私は美しい出来事に対して特別敏感なのである。さらに美しい出来事は儚く、私は工夫を凝らして‘美’の感覚を捕らえ、使える方法はすべて使って読者に伝えるのです”と彼女は述べている。彼女は又、“美しい事柄”は存在すると考えており、“たとえあなたがありのままではないと感じても、私の小説の中で一瞬一瞬の美を見つけることができ、憂いや感傷を忘れることができる、すばらしいと思いませんか?”しかし、彼女はこのように多くの物語を書く中で、最大の敵は重複であると認めている、“私は自分の物語をあまりに簡単に繰り返してしまった。”そこで彼女は長編小説『失火的天堂』を書く際、従来の愛情円満に対する謳歌を改めまじめに、厳粛に人生、生命の中のどうしようもない、憂いや苦しみ、悲哀の面に対する彼女自身の考え方を表現した。この美しくない悲惨な出来事は、書くうちに彼女の意欲を低下させ、この種の題材はもう書きたくないと感じてしまった。 しばらくののち、又『氷兒』を書いた。ロマンチィックな始まりで、過去の多くの小説と同じであったが、結婚の類の‘平凡な’結末に終わった。彼女はこう述べている“私の考えでは、氷兒のようにロマンチィックな女の子であっても、彼女は最後にはやはり雲や霧の中から降りてきて、質朴な地上を踏みしめるのであり、やはり平凡な生活に触れたいと思うのである、これが人生というものだ”“私は‘氷兒’を借りて、いまだにロマンチィックな幻想の世界にとどまっている女の子すべてにこう告げたい、平凡をすばらしいと思うことが美であり、人はやはり地上にしっかりと立っていなければならない。本当に素敵な女の人は、平凡を受け入れてはじめて始まるのである。 |
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作品集・単行本『窓外』長編小説、台北皇冠出版社、 1963.9 |
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| 『翦翦風』作家出版社 1992.12 『失火的天堂』作家出版社 1992.12 『瓊瑶典藏1 窗外』皇冠叢書 2011.4 『瓊瑶典藏2 煙雨濛濛』皇冠叢書 2011.4 『瓊瑶典藏3 幾度夕陽紅』皇冠叢書 2011.4 『瓊瑶典藏4 船』皇冠叢書 2011.5 |
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| 『瓊瑶典藏5 庭院深深』皇冠叢書 2011.6 『瓊瑶典藏6 在水一方』皇冠叢書 2011.6 『瓊瑶典藏7 我是一片雲』皇冠叢書 2011.7 『瓊瑶典藏8 彩霞滿天』皇冠叢書 2011.7 『瓊瑶典藏9 失火的天堂』皇冠叢書 2011.8 『瓊瑶典藏10 蒼天有淚』皇冠叢書 2011.8 |
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研究書・参考書『瓊瑶的夢――瓊瑶小説研究』陳彬彬/著 皇冠出版社(香港)有限公司 1994.11
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邦訳
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| 作成:黒田由美 |













