諶容自伝:
私には牧歌的な幼年時代がない。人のうらやむような学歴もない。勇ましい戦いの経歴もない。私の毎日は平凡に過ぎていき、経歴といってもたったの数行で書き終わるものだ。
原籍は四川の巫山、生れは湖北省漢口である。幼年時代は成都、北京、重慶などで学校に通った。
1951年、私が15歳のとき、重慶で働きだした。まず最初は労働者向けのある書店で本を売った。その後西南『工人日報』投書欄の係をした。1954年に大学に入学、ただし勉強したのは文学ではなくロシア語だった。
卒業後はロシア語の通訳をしたり、音楽誌の編集、中学の教員をしたりした。「文化大革命《前には、山西の農村でしばらく過ごしたが、「文化大革命《中は北京近郊の農村に4年間下放。そのご河南、安徽、四川などに行って社会に接する機会をもった。
私の最初の長篇小説『万年青』は1975年に人民文学出版社から出版され、二番目の長篇小説『光明與黒暗』(第一部)は1978年に人民文学出版社から出版された。1978年からは中篇、短篇、報告文学なども書き始め、数え上げれば、今日までに中国の四角い文字で200万字も書いたことになる。それらは数年の間に、北京出版社、四川人民出版社、人民文学出版社、湖南人民出版社、百花文藝出版社、上海文藝出版社、中国文聯出版公司などからそれぞれ出版されている。『諶容小説選』『賛歌』(中篇小説集)『太子村的秘密、』(農村中短篇小説選)『諶容中篇小説集』それに単行本として『永遠是春天』『人到中年』『楊月月與薩特之研究』がある。それから中篇新作『散淡的人』ももうすぐ出版される。
私は小説書きを田を耕す農民に喩えている。私は種を撒く。土壌や気候の条件が違い、また農作業の技術のよしあし
もあって、出来上がった穀物には出来上出来がある。そういうことは評論家によって批評してもらうしかあるまい。(『錯,錯,錯!』花城出版社1986.5)
諶容の姓の中国語読みについては、京都講演に際し、通常のChen2ではなく、Shen4であることが、本人によって説明されている。
作品集・単行本
『万年青』長篇小説 人民文学出版社 1975.9
『光明與黒暗』長篇小説 人民文学出版社 1978.7
『人到中年』中篇小説 百花文藝出版社 1980.6
『諶容小説選』中短篇小説集 北京出版社 1981.5=北京文学創作叢書
『太子村的秘密』中短篇小説集 人民文学出版社 1983.10
『真真假假』中篇小説 上海文藝出版社 1982.10
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