Shū Tíng
|
(1952- ) |
舒婷自伝:私は祖籍は福建の泉州であるが、1952年福建省石碼鎮に生まれ、育ったのはアモイである。初級中学を卒業しないうちに、農村に下放した。1969年に創作を開始、その頃から詩はすでに知識青年の中に流れ伝えられていた。都会に戻ってから様々な臨時雇いの仕事をした。セメント、機械操作、繊維の糊付作業、錫の溶接などの仕事である。1979年から民間の雑誌『今天』に詩作を発表しはじめる。同年『詩刊』に正式に作品を発表する。1980年から『福建文藝』編集部が私の作品に対して一年近い討論を繰り広げた。その内容は新詩の一連の根本的な問題に触れていた。1981年福建省文聯に配属され、専業創作を始めた。現在中国作家協会理事、作家協会福建分会副主席である。二度全国的な詩歌の賞を受賞した。1985年6月招かれて、西ドイツ「地平線」芸術祭に参加。1986年4月米国セントルイス詩歌研究センターの招きに応じて、アメリカで十数回の個人詩作朗誦会を行なった。 人と心を通わせる 人よ、私を理解してほしい。 (『中国当代作家百人傳』求実出版社1989) |
作品集・単行本『双桅船』上海文藝出版社 1982 |
邦訳『中国現代詩三十人集』(是永駿編訳) 凱風社 1992.2 |
作成:青野繁治 |